【追悼】漫画家鳥山明さんに捧ぐ…ドラゴンボール・孫悟空の棒術は偉大だった!

こんにちは。米沢藩・小山道場講師の小山です。
私はドラゴンボールに熱狂した世代です。

ドラゴンボールの漫画家・鳥山明さんが、急性硬膜下血腫で3月1日に68歳で亡くなっていたとのニュースが話題になっています。先日3月3日に、偶然にもドラゴンボールの孫悟空の記事を書いたばかりでしたので、少しの驚きと大きな残念な思いです。こういった偶然はよくあることで、昔の武士や修験者らが言っていた「虫の知らせ」です。

あの頃、皆んなが孫悟空だった
そして、鳥山明さんが描く漫画の虜になった

今は漫画をほとんど読まなくなった私ですが、小学生から高校生の頃までは漫画・アニメが大好きでした。オタクという言葉が出てくる前から大好きでした。そのきっかけになったのが、週刊少年ジャンプに連載されたドラゴンボールです。きっと、この体験は私だけじゃないと思います。

孫悟空

幼心に、小さい体でめちゃくちゃ強い悟空が大好きでした。
大きな敵や卑怯な敵、めちゃくちゃな強敵と戦ってもボロボロになって勝つ姿にワクワクしていました。
私も強くなれば、いつか “かめはめ波” を出せると本気で思っていました。

それは私が同級生よりも体が小さかったからです。
いつも兄や上級生たちにいじめられて、バカにされていたのが悔しかったのです。
でも、悟空は全く違いました。
小さくてもバカにされても騙されても誰よりも強かった…

幼稚園の頃は他人と話さないぐらい大人しかった私は、悟空に出会って熱くなりました。小学生の時には、体が小さくても勉強ができなくても運動神経だけは誰よりも抜群でした。時に、運動に関しては上級生よりも上手に出来たのでクラスの人気者になりました。いま思い返せば、ドラゴンボールのお陰です。連載し続けてくれた鳥山明先生と週刊少年ジャンプのお陰です。

孫悟空は、誰よりも私の先生でした。

ドラゴンボールをきっかけに、Dr.スランプ、騎竜少年、キャッシュマンなど鳥山明作品を読み漁り、キャラクターデザインをしたファミコンソフトのドラゴンクエストや、スーパーファミコンソフトのクロノ・トリガーを寝ずにプレイしまくりました。少年期のほとんどは鳥山明さんの作品に熱狂していたと言っても過言でありません。それをきっかけに色んな漫画家の作品も好きになりました。

キラキラ光った夢をたくさん貰いました。

大人になっても、参考になったドラゴンボールの物語

私が米沢藩の修験道の調査を始めて、古武術を守り繋ぎたいと思ったのもドラゴンボールの物語があったからです。調査すればするほどドラゴンボールの世界観に一致したのです。
修験道は、七つ星を見つけると山頂に登る龍が出現し、生まれ変わりの願いを叶える場所に連れて行ってくれます。

神龍

先祖や一族のルーツを辿っていた際に、中継ぎに鳥山姓がいたことも幸いしました。米沢藩に鳥山姓は一人もいませんから、一族に関係する他藩か神仏職の家系と予想がつきました。きっと、鳥山明さんは密教修験道の何らかの歴史を知っていると思いながら、ドラゴンボールに登場するキャラクターや動物は何をモチーフにしているのか紐解き、悟空と一緒に冒険するかのように体を使って現代に残っている史跡を調査しました。お陰で民話に登場する動物と修験道の関係性にかなり敏感になりました。

今では初めての土地でも少し伝承を聞いて歩くだけで、七星が散りばめられた修験道の名残がまだ残っているかが肌で感じられるぐらいです。いつか、然るべき時が来たら、然るべき場所で私が調べたことをお伝えできればと思います。

その封印された日本の歴史が復活して認められたら、それもまた鳥山明さんの功績です。

ドラゴンボール

孫悟空に出会わせてくれた鳥山明先生へ
棒術の特別な形を捧げたい…

私は古武術の習い始めに棒術をメインとして教わりました。たまたま棒術が最初でした。それが、たまたま性に合い、一生懸命稽古したら異例の速さで奥伝を授かりました。これも孫悟空が棒術使いだった影響かもしれません。中国武術の棍術琉球唐手古武術の棒術と異なり、日本古武術の棒術は如意棒のように伸びるんです。相手がそう錯覚するように使います。

さて、世界中を熱狂させた偉人の旅立ちに、熊野修験・九鬼神流棒術の奥伝の形を捧げます。
私がお返しできることはこれしかありません。
鳥山明先生の故郷・愛知県にまたがっていた修験道の技。その修験者たちが使った特別な形です。

九鬼神流棒術・奥伝「九字止之形」

我、偉大なる漫画家の旅立ちの為、如何なる山川の試練にも耐え切る九字を止めし候。
故に偉大なる国土に鎮座する神仏方々、故人の御霊を三千大千世界へ導き候。

一仏成道 観見法界 草木国土 悉皆成仏

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。