時を越えて受け継がれる意思!米沢市窪田・保呂羽堂普光山千眼寺の年越し祭と修験道を伝える餅つき歌

保呂羽堂千眼寺の餅つき

こんにちは。米沢藩・小山道場講師の小山です。
米沢市窪田の保呂羽堂普光山千眼寺の餅つきに行ってきました。

米沢藩・軍奉行色部氏の菩提寺で3年ぶりに年越し祭が行われました。

地区の男達が裸で3つの臼で餅をつき、女達は割烹着で3つの餅を人々に腹一杯振舞います。
願いを込めた3つの歌が響いて、餅が高々と天井につきあげられました。

宝餅です!

さて、修験密教は口伝での伝え方であるため資料がほとんど残っていません。
また、明治時代の廃仏毀釈によって歴史的文化財が多く消失しているため、その土地の修験道の歴史を知る上ではこういった歌や伝説が非常に大事です。そして、それを読み解く能力も必要になります。

ほとんどの場合は、文明開花以前の用語や隠語・宗教上の比喩的表現が使われています。その土地の人も意味を分かっていないのが実態です。
実は私もこの餅つき歌を初めて聴きました。保呂羽堂は今でも裏手に蔵王権現を祀る神仏習合の御堂になっていて、千眼寺は元々は真言密教の修験道場です。やっぱり修験道だったことを伝えることが歌われていました。

歌詞は全文書き起こしませんが、以下に簡単な解説をいたします。これだけでも分かる人には分かるでしょう。

【煉歌】

窪田で名所は保呂羽堂〜
新穀感謝のお歳越し〜 (以下、省略)

と、始まる煉歌には、窪田戸塚山赤湯と修験道場の地名とその名産が登場して、犬がワンと鳴き、狐がコンと鳴きます。
音だけでは気づけないかわいい歌詞が続いています。ここでの犬は山伏で、狐は稲荷のことです。
煉歌では、里での出来事が歌われているようでした。

【搗歌】

つけよつけつけ宝の餅を〜
今日は保呂羽のお歳越し〜 (以下、省略)

と、始まる搗歌には褒められた宝餅を、藪漕ぎしながら獅子がいる修験道を運ぶ様が力強くコミカルに歌われます。
搗歌では、道中での出来事が歌われているようでした。

【揚歌】

あげろ餅あげろ天竺までも〜
あまの河原の底までも〜
小石小川のざくざく石が〜
波にゆられて岸による〜

餅があげられる揚歌には、仏が集まる天竺と神が集まる天の河原が登場します。そして、その底は黄泉の世界。石は丸く磨かれたキレイな玉石で魂のことです。岸によるとは復活することを表しています。揚歌では、山での出来事が歌われているようでした。

この保呂羽堂の餅つき歌は、むかしむかし米沢藩にあった生まれかわりの修験「出羽三山信仰を伝えています。
ここで搗かれた宝餅は、本来は湯殿山神社などに運ばれていたのでしょう。山岳信仰です。

その道筋であるドラゴンロードが途絶えた今でも、この窪田地区では守り歌われているのです。全く頭が下がります。
機会があれば、地域の方々に解説して差し上げたいですね。

さて、保呂羽堂に三段餅が供えられました。
3年振りに米沢藩の神仏が宝餅を持って山籠りに山を登っていきますよ!

皆様も良い年越を〜!!

もし、この記事をお読みになってご興味があれば、保呂羽堂普光山千眼寺に行ってみてください。
よろしければ、ドラゴンロードガイドいたします。

蔵王権現

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