昔の婚礼の名残あり!長井市道照寺・奥の宮熊野神社の風習と鶴亀の祝瓶山と修験道の調査
こんにちは。米沢藩・小山道場講師の小山です。
スタジオ八百萬の山田さんが祝瓶山を写真撮影したいというので、長井市道照寺の熊野山へ先達してきました。
私も熊野神社の調査で登ろうと思っていただのでちょうど良かったです。
天候は晴れ。
珍しく昼近くまで霧がかった置賜盆地。
熊野修験の白樫棒を付きながら登ってきた正午、奥の宮である熊野神社に着いた頃には霧が晴れて長井市を一望できる最高の景色でした。
撮影ポイントに到着して、お湯を沸かして雲待ちをしながらカップ麺(とんこつ)を食べました。
山で食べるカップ麺は最高に美味かったです。
祝瓶山(いわいがめやま)を見ながら山コーヒーで乾杯もしました。
きっと、昔の人たちも山を見ながら
ここで乾杯したんじゃないかな??祝瓶だから笑
さて、登ってみて置賜盆地の理解が深まりました。
熊野神社の由緒書には、紀州熊野宮(現、和歌山県)からの分霊と掲示してあり小国町方面を拝むように建っていました。思った通りでした。小国町には黒沢峠があり、そこが置賜盆地の信仰の中心地である北極星地点になっているはずなのです。
そして、村外から来たお嫁さんは、姑の案内でここにお参りしなければならない風習だったとのことです。非常に面白い風習です。昔は女性が山に入るのはすごい稀なことだったからです。
熊野神社の境内からは、野川を中心とした長井市内がスッキリと見えました。野川は、長井市に残る黒獅子伝説の卯の花姫が年に一度降ってくる川です。両岸には、黒獅子祭りが始まる總宮神社と卯の花温泉があり最上川に合流します。
山からそこが展望できるということは
この山を降る目的地はそこであるという意味です。
卯の花とは、インド仏教で境界線に咲く花のことです。
卯の花温泉はぎの湯には、卯の花姫が蛇から神の姿に化粧してなって、總宮神社に入ったという伝説が残っています。詳しくは省きますが、この伝説を歴史的な意味合いで紐解くと、異なる信仰間の婚礼があったということなのでしょう。
黒獅子祭りが始まる總宮神社には、明治時代の神仏分離令で、米沢藩(現、山形県置賜地方)の信仰だった飯豊山信仰が習合されました。異なる信仰が習合される場所として古来から発展したのが、ナーガの地・長井ということなのでしょう。ナーガとは、インド仏教で蛇神のことです。
長井の街並みの山の向こうには蔵王山まで見えました。
蔵王山もまた、熊野岳と呼ばれ、紀州の山岳信仰と同じ蔵王権現の修験の地です。
はやり、この熊野山の登山道は置賜盆地にあった山岳信仰の重要な場所のようです。
詳しくは私の講演をお聞きいただければ幸いです。
さらに上の無名山まで登ると、山頂からは長井市とは反対の置賜盆地が一望できました。
手前側に飯豊山信仰のドラゴンロードのスタート地点である飯豊町黒沢地区。
黒沢の熊埜神社の参道の林と、大日堂がはっきりと見えました。
そして、その先に続いていく川西町の山々。目的地がそこであることが分かります。
奥側の方には、室町時代に置賜地方を治めた伊達氏の里である高畠町も見えました。
日本三文殊のひとつ、亀岡文殊の山は祝瓶山に向かって頭を突き出している亀のようにも見えました。
なるほど。祝瓶…いわいがめ…。祝い亀ですねっ!
だから、結婚した女性がその間の熊野山へ登って、家の繁栄をお参りしてたんでしょうね。面白いです!
きっと、昔の人たちも山を見ながらここで乾杯したんじゃないかな??祝い亀だから!笑
これは、お洒落な山の婚礼の儀ですね。
この伝説をちゃんと紐解くと、
日本の面白い信仰の歴史が見えてきて長井市の町おこしにもつながると思います。
ちなみに、祝瓶山の先には鶴岡市があります。
鶴岡の山も鶴の形をしています。
亀岡の山と合わせると、かごめかごめの歌の「鶴と亀がすーぺったん」みたいです。
もしかしたら、かごめかごめの歌は山岳信仰のお目出度い歌だったのかもしれませんね。
一緒に登った山田さんから最高の写真も撮れたと御礼のメッセージとご報告をいただきました。
私も色々と分かりましたので、この山で分かった伝説や風習も含めて、今後の置賜地方の山岳信仰参詣路の調査に生かしていきたいと思います。
熊野山。とても良い山でしたよ。
お近くの方はカップルで登ってみてはいかがですか?
最後まで記事をお読みいただいてありがとうございます。仕事や講演の相談もお気軽にどうぞ。米沢藩・小山道場講師。江戸幕府から米沢藩士になった藤原氏の末裔。【古武道流派】九鬼神流棒術(紀州熊野)/甲源一刀流剣術(甲斐)/浅山一伝流体術(会津)【所属団体役職】置賜民俗学会(会員)/米沢商工会議所(議員)【職業】HanaCinema株式会社/映像・ウェブクリエイティブディレクター。