天昇る白竜…生まれかわりの湯殿山修験体験と旧本道寺口ノ宮湯殿山神社調査で縁起あり!

白龍川(千と千尋の神隠し/スタジオジブリ)
白龍川を思い出す千尋(千と千尋の神隠し/スタジオジブリより)

こんにちは。米沢藩・小山道場講師の小山です。
失われた修験道の史跡を研究していると必ず伝説にぶつかります。

日本昔話のような伝説は、だいたいは山岳信仰があった場所に残っています。伝説には、動物や意味不明な生き物が出てきたりします。そして、伝説は現代人には不可思議のことばかりです。これらを昔の人々の感覚で読み解くのが、失われた修験道を導くために非常に大事になります。私が山形県置賜地方の修験道に詳しいのは、こういった昔ながらの口伝の伝説と、史跡・祭り・風習を、現代の歴史とあわせて読むことができるからです。

いざ、湯殿山修験へ!

さて、生まれかわりの修験体験(湯殿山玄海古道経由)にお誘いいただきましたので参加してきました。
西川町と山形県の官公庁プロジェクトらしいです。そのモニターとしての参加です。

朝7:00。先達をしてくださる月山志津温泉つたや旅館に集合し、白装束を身にまといました。
朝8:00。儀式をすませて、山形県志津野営場から玄海古道湯殿山に向かって登り始めます。
古道の脇にはGoogleMapにはない沢が流れています。しっかり整備されていて、時にそれを跨ぐように橋が架けられています。

修験者が一列に並んで山を登っていく姿は、天へ昇る白竜のように見えます。
実は、これが各地に残る白竜伝説の正体です。

玄海古道もまたドラゴンロードということです。
湯殿山信仰は「語るなかれ、聞くなかれ」と、いまだに秘密の信仰になっているため、多く語ることはできません。
これが密教と日本人の奥ゆかしさでもあり、現代では特に山形県置賜地方の修験道を衰退させてしまったのです。
いずれは開かざる終えなくなってくると思いますが、気になる方はぜひ実際に足を運んでいただければと思います。

湯殿山でも途絶えてしまっている信仰地があるようですが、山伏の先達でしか入れない〝お沢駆け〟からの湯殿山の参拝は特別なものでした。沢の音が私の耳には音楽に聞こえました。
そして、下山後の儀式は確かに生まれかわりの修験と言えるものでした。

湯殿山修験
湯殿山の峰を望んで湯殿山神社へ降っていく白竜

歴史の中で失われた本道寺…口ノ宮湯殿山神社へ

翌日7:00。私は帰途に着く前に行きたいところがありました。同町内にある旧本道寺跡。現、口ノ宮湯殿山神社です。
江戸時代までここに弘法大師・空海が開いた本道寺がありました。戊辰戦争廃仏毀釈によって失われてしまったお寺のひとつです。

この神社は普段は締め切られているとのことです。
また、大黒森プロジェクトという地元の有志が動いて、失われた旧本道寺の史跡を整備して復活させ始めているというのです。

本道寺口ノ宮湯殿山神社

実は、ここが置賜地方からの出羽三山参詣道の本道だった場所です。
山岳信仰の出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)への入口です。
そして、山形県に広がっている仏教の宇宙観を表す修験道りゅう座〟の口に位置しているのです。
したがって、口ノ宮になったのか。
大乗仏教では、龍の口に大事な玉が埋まっていると伝えられています。

また、約三百年前には、ここから米沢市関根の普門院御本尊・大日如来が移動してきているのです。
普門院は、置賜地方の修験の入口だった場所です。
私は、山形県の失われた真の歴史を一本にする手がかりがここにあると考えているのです。

国道沿いに整列している石塔を調査していると、石仏の前にお花が飾ってあるのが分かりました。
“平日の朝早くから私より先にここをお参りしに来た人がいる…?”
すると、石段前お地蔵さんのお水を変えて、手を合わせている人がいらっしゃいました。

私は近寄って行って「毎日ですか?」と声をかけました。
「いえいえ、たまにです」と恥ずかしそうに答えてくれました。
「素晴らしいですね。なかなか出来ることではないです」と、私は一瞬でこの方に縁を感じました。
佐藤さんという大黒森プロジェクトの中核で活動をされている方でした。

佐藤さん「学者さんですか?石碑をあんなにじっくり見ている人はあまりいないので」
私「いえいえ、学者ではないです。ただ石碑も調べているのは事実です。下野国の石塔が建立されてますね…」

私は、自分の先祖が下野国を治めていて鎌倉時代末期に幕府の宿老をやっていたこと、その後、命を狙われて得度してこの西川にいたと思われること、そのルーツを求めて置賜地方の修験道を調査していたらここに行き着いたことをお話ししました。すると、佐藤さんは締め切られた本堂内に入れてくれ、境内一円を親切にご案内してくれました。

せっかくなので、私が調べた置賜地方から口ノ宮湯殿山神社までの道筋が〝りゅう座〟になっていることを簡単にお伝えさせていただきました。佐藤さんもハッとすることがあったようです。私の話に共感されていました。

神社の裏から登る月山への登山道である高清水通りの本道寺口から、集落が一望できました。田んぼが美しい村でした。

大黒森プロジェクトでは、毎週水曜日の早朝に境内の修繕作業をされているとのことです。また、岩清水通りに昔はあったと伝承されている史跡も山中を探し続けているとのことです。まだまだ人手が足りません。以下に、プロジェクトのfacebookリンクを貼っておきます。雪のため作業再開は春からになると思いますが、ご興味ある方は覗いてみて、応援コメントをしていただければ幸いです。

大黒森プロジェクト
https://www.facebook.com/daikokumori/

また、この記事を読んで山形県の修験道調査に興味をお持ちになりましたら、こちらのページもご覧になってみてください。
一緒に調査してくれる仲間も募集しています。

薬師三尊

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