米沢市観光プランよりも面白くて印象的!一念峰トレッキング「置賜を一望する神郷奥霊遊び」
米沢藩小山道場では、門下生との交流を深める恒例行事として、地元の山形県置賜地方の歴史・自然・信仰を体感する「学びと和のレクリエーション」を開催しています。2025年の海の日は、門下生の投票で人気だった米沢市上郷地区「一念峰」へのトレッキングを中心に、信仰・食・温泉まで盛り込んだ特別な一日となりました。
米沢市のどんな観光プランよりも
楽しくて気持ち良くて
歴史を肌で感じられる
唯一無二の体験型レクリエーションです!

体と心を使って歴史を感じる、そして仲間とふれあう夏の一日!
観光とは〝そこに行かなければ知らなかった光を観ること〟です。
その光景は目に焼き付き、土産話としてクチコミになり、観光者自身の人生の糧となります。これがガイドとしての私の信条です。今回、私は古武道の講師でなく観光ガイドとして、体と心を使って歴史を感じたからこそ見える絶景を門下生たちと観に行きました。一人一人が見える景色が違いながらも、お互いに共感共有できる夏の思い出の始まりです。そこでの経験は一生ものになります。
「置賜を一望する神郷奥霊遊び」の行程プラン図

一念峰とは
山頂にゴロゴロと奇怪岩。そこは米沢市と高畠町のちょうど境界、海上と呼ばれた地です。置賜盆地を東側から一望できる標高470mの山です。
平安時代の貞観二年(860)に、天皇より慈覚大師の称号を授かった天台宗三代目座主・円仁(えんにん)が、1年間の山籠りの修行を経て開山させました。置賜地方で布教活動を終えた円仁は、その後かの有名な山寺を開山させました。
本堂はすでに移転して廃寺になっていますが、その跡から山頂を目指すと、機織岩、幕岩、縁結岩、天狗の相撲岩、紙飛ばし岩など密教修験の雰囲気を残した“いにしえの歴史の道”です。
一年の修行の坊があった霊場であることから、一年坊、一念峰と呼ばれたとのことです。
学問と災いの神・長手天満神社で登山祈願


一念峰手前の天王川のほとりにある菅原道真を祀る天満神社へ。
伊達氏の家臣だった網代氏が守っていた神社でその山城跡も向かいの山に残っています。一緒に参加された伊達家の古武術「影山流」の二階堂さんが法螺貝を鳴らしてくれました。朱色の太鼓橋を渡って境内に入ります。この太鼓橋は、三回アーチになっており、出羽三山の生まれ変わり信仰と同じく「過去・現在・未来」を表しています。
樹齢数百年はあろうと思われる杉の林を抜けると本堂があります。そこで、登山の無事を祈りました。また、この周辺の歴史を知るために、境内手前にある身代わり観音にも手を合わせ高梨李右衛門についても学びました。
置賜の天台密教の聖地・一念峰で体験型トレッキング




海の日なのに山へ。しかし、そこはかつて海上と呼ばれた地です。
登山口すぐに鳥居と急階段があり山神社へ続きます。昔ながらの密教修験と同じ作法を体験するために、法螺貝を吹いて般若心経を唱えて山神に登山の許可を願います。修験行者のおまじない的な呪術・九字護身も体験してから登山を始めました。
棒術家である私は熊野修験に習って六尺棒を持っています。山では六尺棒は何かと使えます。先達としての信仰のためでもあり、クマを寄せ付けないように警戒するためでもあり、勾配を登りきれない人をロープ代わりに引っ張り上げることにも使えます。
登山道には、森林の他に豊かな山野草や信仰の名前がついた岩があります。それほど難易度が高い山ではありませんが、修験の様相が残るため頂上が近くなればなるほど、鎖を使わなければ登れない急勾配な道になってきます。辛くなった時は皆で六根清浄を唱えました。
夏の日差しが強く登山初心者もいましたので、何度か休んで1時間かけて頂上を目指しました。




頂上近くなると不動明王が祀られています。
信仰の歴史に習って皆で真言を唱えてから、頂上の天狗の相撲岩を目指しました。そして、勇気あるものだけが登れる真の頂上である紙飛ばし岩へ。参道となる最も危険なゾーンを潜り抜けて、急勾配を鎖を手繰り寄せて登って見える景色は、そこに到達した者しか見ることができない絶景です。
登頂したところで周辺を見渡しながら、この地域の古代の歴史をお伝えしました。その歴史を聞きながら体で自然を感じながら想像して、皆それぞれに感動で心が満ちていました。季節によっては、その景色の眼下には雲海が広がり、海の上にいる感覚になるのです。ここが海上と呼ばれた所以です。
紙飛ばし岩上では、自身の決意を固めて、置賜に眠っている龍神に向かって願いを叫ぶことができます。
そして、その願いは叶うと信じられていました。


降る前には頑張って登ったご褒美に、氷入りの冷え冷えアイスコーヒーで乾杯しました。皆、天国と言わんばかりに「美味しい美味しい」と飲んでいました。まさか炎天下の山中で氷とアイスコーヒーにありつけるとは思いませんでしたよね(笑)
体は欲している時に欲している物を口にすると、どんな物でも心から美味しいと感じます。本当の美味さとは体験を含んだ体に染み渡る味なのです。そんな経験も夏登山の醍醐味です。
地元の旬の味を求めてリストランテ喜右衛門でランチ




リストランテ喜右衛門は、上郷長手で先祖代々喜右衛門を名乗った我妻家の小さなイタリアンレストランです。襲名していたからには、江戸時代の頃には藩や幕府の肝入だった家でしょう。
登山でお腹が空いて汗だくの一行には、涼しくとても幸せを感じたお店でした。地元置賜産の野菜をふんだんに使った前菜とランチの後は、ケーキなどのデザートまで出していただきました。
この上郷地域は食にも歴史が深く、古くは天皇の食事の世話をしていた浅川氏が治めていた土地柄で、明治時代に始まった米沢牛第一号はこの地域で飼われていた農家牛です。また、米沢ラーメンの名店が多くあるのが特徴です。食の歴史についても学んで会食し、一行は心だけでなくお腹まで満たされました。
今も戸塚山に残る修験寺・天王山大覚院で学ぶ




米沢藩の支藩である米沢新田藩があった上郷の町並みを車で走り、置賜三十三観音33番〆所となる戸塚山観音で下山祈願しました。この山は日本神話に登場する神たちも祈願した山です。同じくその山麓にある置賜で数少なくなった本山修験寺・天王山大覚院にお邪魔して、亀田住職にご講話をいただきました。
この寺の歴史と役割について知り、修験行者の坐禅のやり方を具体的にレクチャーいただきました。この体験を通して、一念峰の頂上ですっとした経験になっとくした者や、一念峰での修験されていた先人の気持ちがわかった者がいました。
住職に「坐禅は古武術との相性が良い」とご提案を受けて、早速、稽古前にはじめている門下生もいます。
唯一残っているおいたま温泉・賜の湯で直会(なおらい)


汗を流して旅の疲れを癒してくれるのはやっぱり温泉。賜の湯は上郷地区に唯一残っている日帰り温泉です。開放的な露天風呂からの景色がいい温泉で、この付近に修験の歴史がたくさん残っていることから、昔は行者の人々が参詣の旅や修行の疲れを癒していたに違いない!と思えてきます。
一同、汗を流して、休憩所を借りて直会しました!寝そべって疲れを癒す者もいて、皆、一念峰頂上での体験が良かったと語って楽しそうに旅の思い出を共有していました。また、一緒に参加してくれた法螺貝奏者の二階堂さんが「めちゃくちゃいい!米沢のファンになった!」と言ってくれたのが嬉しかったです。
私は、たった6時間程度の旅でしたが、参加した全員がいつの間にか仲良くなっていたのが印象的でした。
「米沢市でも、歴史を体で体験することで、市民がこんなに楽しめるんだ」と改めて思いました。
旅のまとめ
今回のレクリエーション記事はいかがでしたか?どんな米沢市観光よりも面白くオリジナルで作った旅行プランです。
当道場のレクリエーションでは、米沢市あるいは山形県置賜地方の隠れた歴史を体験と経験から感じられるようにしています。それはまさに、体が欲した時に欲した物を食べると、真の美味しさが分かるような真の歴史です。学校の勉強とも修学旅行とも、大手旅行会社が作る旅行プランとも違う、あなたの体で感じる歴史探訪です。
ですが、その面白さは、この記事を読んでいても10%も伝わらないことでしょう。
観光とは〝そこに行かなければ知らなかった光を観ること〟
ぜひ、この夏は近場でもいいので歴史の旅に出かけてみてください。
あなたしか見れない光(絶景)がそこにあります。
山形県米沢市に興味があれば、当道場にお気軽にお問い合わせください。
ドラゴンロードの概要もあわせてご覧いただけましたら幸いです。

⚫︎所在図「ドラゴンロード(置賜地方の密教修験道)」

⚫︎ルート図「置賜を一望する神郷奥霊遊び」


最後まで記事をお読みいただいてありがとうございます。仕事や講演の相談もお気軽にどうぞ。米沢藩・小山道場講師。江戸幕府から米沢藩士になった藤原氏の末裔。【古武道流派】九鬼神流棒術(熊野)/甲源一刀流剣術(甲斐)/浅山一伝流体術(会津)【所属団体役職】置賜民俗学会(会員)/米沢商工会議所(情報文化部会常任委員)【職業】HanaCinema株式会社(映像・ウェブクリエイティブディレクター)


