「棒術」とは祭なのか?棒踊り・獅子舞など伝統郷土芸能や祭事に残る六尺棒

棒術とは祭なのか

米沢藩・小山道場講師の小山です。

当道場では九鬼神流棒術を中心に古武道を教えています。棒術は非常に裾野が広い古武術で、武士の武術としてだけではなく、僧侶たちの護身術として利用されたり、天狗や修験を伝える獅子踊り、五穀豊穣の田植え踊りなど農民たちのお祭りの神具として伝承されています。

この記事は、「棒術とは」シリーズ2回目の記事です。今回はお祭りに根付いている「棒踊り」と「獅子舞」を中心にご紹介します。

棒術に馴染みがない方にも知っていただけるように、改めて継承する意義の理解を深めてみたいと思います。なお、1回目の記事をご覧いただいてない方は、「棒術」とは何なのか?古武術と農民武芸の歴史的な棒術流派は初心者から経験者まで魅了する」をご覧ください。


中尾棒踊(一般社団法人西都市観光協会HPより

目次


1. 九州地方南部・沖縄地方の広域に伝わる祭事の棒踊り

(1)棒踊りとは? 〜武術の動きを取り入れた伝統芸能〜

棒踊りは、日本各地に伝わる伝統舞踊の一つで、棒を振るう武術的な動きと踊りが融合した演舞です。地域ごとに異なる特徴を持ち、鹿児島県や宮崎県、東北地方などに多く伝承されています。特に、鹿児島県、宮崎県、熊本県など九州地方南部にその風習が多く見られます。

もともとは戦国時代の武士たちが戦いの技の披露や鼓舞するための演舞だったとも、農民の自衛のための踊りだったとも言われており、流派や地域によって異なるスタイルが存在します。また、農民たちが五穀豊穣を願い、田植えや収穫の際に神々への感謝を込めて奉納したという説があり、地固めや悪霊を払う所作とも言われ、江戸時代から伝えられている地域が多くあります。主に六尺棒や三尺棒を持った踊り手が歌に合わせて勇壮に踊ります。

天保5年 薩摩風土記 棒踊り
天保5年 薩摩風土記 に描かれた棒踊り

(2)棒踊りの起源

棒踊りの起源は各地方で異なりますが、鹿児島県の棒踊りは薩摩藩を治めた島津義弘ひきいる薩摩軍との朝鮮半島と戦いの後、その帰国祝いとして始まったと言われています。宮崎県の棒踊りの起源は、江戸時代に流行した疫病が「水神の祟り」とされ、棒踊りを奉納することで鎮めようと考えたことが始まりとされています。

(3)棒踊りの特徴

棒踊りには、以下のような特徴があります。

武術と舞踊の融合

棒踊りは、棒術の基本技である「打つ」「払う」「突く」「受ける」といった動作を取り入れています。実際に棒を打ち合う演舞も多く、戦国武将たちの士気を高める目的で広まったものもあります。

勇壮な掛け声とリズミカルな動き

踊り手たちは、迫力ある掛け声をかけながら、リズムに合わせて棒を振るいます。太鼓や笛の演奏とともに踊ることで、力強くダイナミックな雰囲気を作り出します。

地域ごとの特色

様々な棒踊りがあり、それぞれ独自のスタイルや衣装があります。各地域では保存会が発足して、地域の神社の祭りで奉納や披露されています。中には、小学校などで教えている地域も少なくありません。

(4)九州地方南部・沖縄地方に受け継がれる主な棒踊一覧

棒踊り地域(県)概要
荒木集落の棒踊り鹿児島県大正7年(1918)、種子島から荒木に移り住んでいた紬の締め織工が伝える。
福元棒踊り鹿児島県明治時代から踊られ、山川に琉球から伝わる。
本城棒踊り鹿児島県200年以上継承され、花尾神社に奉納される。鹿児島市無形民俗文化財(民俗芸能)
岩本棒踊り鹿児島県江戸時代、第21代島津家当主島津吉貴の子である因旛三郎忠卿を慰めるために踊ったと伝わる。
新西方棒踊り鹿児島県薩摩隼人の気質で踊られる田植えの豊作祈願。
田之畑棒踊り鹿児島県文禄年間(1592〜)慶弔の役の島津義弘公の勝利からの祝い踊。
大姶良西方棒踊り鹿児島県江戸時代からの岩戸神社に奉納。
竹子棒踊り鹿児島県文禄年間(1592〜)慶弔の役の島津義弘公の勝利からの祝い踊。
美座の棒踊り鹿児島県明治時代の初め頃に加世田方面から伝わる。
下久志棒踊り鹿児島県大正15年(1926)から奄美大島で行われていた踊りが伝わる。
根瀬部棒踊り鹿児島県400年、琉球王朝遠征の薩摩藩が伝える。一時途絶え、明治時代に復活。
玉利の棒踊り鹿児島県明治時代頃から五穀豊穣と牛や馬の病気退治として田の神に奉納。
山下三尺棒踊り鹿児島県薩摩藩が強兵策の一つとして農民を訓練するために奨励したと伝わる。
川尻棒踊り・鎌踊り鹿児島県島津忠良が庶民の忠誠心を培うために踊らせたと伝わる。
上野棒踊り鹿児島県島津忠良が庶民の忠誠心を培うために踊らせたと伝わる。
下名棒踊り鹿児島県薩摩藩主が農民の士気を鼓舞するために始め、示現流剣法を取り込んだと伝わる。
早馬棒踊り鹿児島県江戸時代からと伝わる。
枦田棒踊り鹿児島県薩摩藩が農民の士気を鼓舞するため、薩摩示現流剣法をくずして武道を調練したと伝わる。
戸田観音棒踊り鹿児島県長禄3年(1459)より、水難よけ、無病息災、安産、馬頭観音としてあがめて、豊作祈願、農村慰安をしたと伝わる。
持田棒踊り鹿児島県明治31年(1898)、移住してきた加覧喜次郎が、持田の東桂木三太郎氏に伝授されたと伝わる。
池間棒踊り鹿児島県大正時代、鹿児島の鉱山師が奄美大島に伝える。
浜児ヶ水棒踊り鹿児島県昭和17年(1942)に福元区に習ったことが始まり。
南方棒踊り鹿児島県薩摩藩が農民武装のために仕込んだと伝わる。
尾崎棒踊り鹿児島県数百年前からと伝わる。
蓬原中野棒踊り鹿児島県慶弔の役の島津義弘公の勝利からの祝い踊と伝わる。
川内棒踊り鹿児島県慶弔の役の島津義弘公の勝利からの祝い踊りが、昭和の初めに南之郷池ン坊から伝えられた。
上柴立棒踊り鹿児島県数百年前に、五穀豊穣や無病息災を願って薩摩半島から伝わる。
田之脇棒踊り鹿児島県明治18年(1885)に移住してきた松木甚助氏らが山川の棒踊りを披露したのが始まり。
屋仁棒踊り鹿児島県明治12年(1879)小学校を建設に来た大工が山川の棒踊りを披露したのが始まり。
中平房棒踊り鹿児島県戦後に牛根村の職人から伝えられる。
青戸棒踊り鹿児島県約200年前、青戸上の宝代五郎兵衛が鹿児島市喜入町で習って伝えた。
横瀬棒踊り鹿児島県江戸時代中期、摂津国の大社の祭司が霧島神宮改築の時に奉納した踊り。平成10年に復活。
八代棒踊り鹿児島県戦前から伝承されている。
西阿木名棒踊り鹿児島県明治中期、松原銅山の鉱夫が伝える。
吉水棒踊り鹿児島県明治37年(1904)、東銀之助氏や米森けさじろう氏らが完成させ、水鬼子母神社に奉納される。
境棒踊り鹿児島県関ヶ原の合戦に敗れた島津義弘が郷土の士気を鼓舞するためにはじめ、100年以上前に百引から伝わり、老神神社に奉納されている。
湯田棒踊り鹿児島県豊臣秀吉の朝鮮出兵時に、武士団の士気を高めるために舞ったと伝わる。
有明棒踊り鹿児島県昭和61年(1986)に復活した。
寄田三尺棒踊り鹿児島県鎌倉時代(1185〜)や戦国時代(1467〜)に農民の自衛のために始まったと伝わる。鹿児島県無形民俗文化財
下仙田棒踊り鹿児島県島津忠良が庶民の忠誠心を培うために踊らせたと伝わる。
荒佐野棒踊り鹿児島県約330年前に摂津・河内・和泉の三国から移住してきた人々の子孫が伝えた。
大山棒踊り鹿児島県文禄年間(1592〜)慶弔の役の島津義弘公の勝利からの祝い踊と、25代藩主・重豪公が余興として踊らせた説があり。昭和49年(1974)に復活。
小川区棒踊り鹿児島県明治37年、日露戦争の祝勝として大迫長兵衛氏の指導で始まる。
鴫野棒踊り宮崎県(高鍋町)約250年前(1770年頃)に流行した疫病を鎮めようと棒踊りを奉納したのが始まり。高鍋町指定無形民族文化財
大井手棒踊り宮崎県文禄年間(1592〜)慶弔の役の島津義弘公の勝利からの祝い踊とも、島津・伊東合戦の必勝祈願とも伝わる。
下水流棒踊宮崎県真言宗極楽寺の僧が御田植唄に合わせて踊ったのが始まり。諏訪神社や水流神社に奉納される。
中尾棒踊宮崎県天正5年(1577)に都於郡城主・伊東三位入道義祐一行が薩摩に追われて豊後に敗走する際に、中尾に残された者が後に武芸修練のために始めたと伝わる。霧島神社に奉納される。
通浜棒踊り宮崎県平家の落人が源氏の目をくらますために、刀に紅白の布を巻いて踊り棒に見せかけた様を踊っている。
大平棒おどり宮崎県約400年前の武術にルーツを持つ。
東麓新地馬場棒踊り宮崎県慶弔の役の島津義弘公の勝利からの祝い踊と伝わる。昭和25年と47年に復活。野尻町指定無形文化財
中山棒踊宮崎県薩摩藩が農民武装のために仕込んだと伝わる。中山神社に奉納。
新馬場棒踊り宮崎県薩藩の示現流を舞踊化。慶弔の役の島津義弘公の勝利からの祝い踊と伝わる。
糸原棒踊り宮崎県薩摩の示現流をもとにした棒踊り。
正近棒踊り宮崎県島津藩主が士気を鼓舞するため、農民にも武道を教えたと伝わる。総鎮守的野正八幡宮に奉納される。
目丸棒踊り熊本県天正年間(1573〜)、島津氏の侵攻から阿蘇社大宮司が逃げ延びた際に、村人らが家臣から教えられたと伝わる。
浅鹿野棒踊り熊本県明治38年(1905)頃、多良木町前原より林田芳太郎氏が習い伝えた。
大久保の棒踊り熊本県江戸時代後期から明治の初め頃、八代市高田の踊りを受け継いだ。雨乞い踊りが始まり。
内野の棒踊り熊本県江戸時代末期に薩摩から養子に来た庄次郎が伝えた。
上手石坂棒踊り熊本県村や集落を守るために身近な棒を使った棒術が変化し、踊りが伝えられた。あさぎり町指定無形民俗文化財
鶴喰地区棒踊り熊本県文政13年(1830)、鶴喰地区の観音堂建立にあたって奉納されたのが始まり。八代市指定無形民俗文化財
久多良木地区棒踊り熊本県江戸末期から明治初期の頃、鹿児島の人によって伝えらた。八代市指定無形民俗文化財
大作山棒踊り熊本県明治10年(1877)の西南の役で福田伊代治氏が西郷隆盛の私学校で学んで伝えた。
築山花棒踊り熊本県江戸時代末期頃、浮田松四郎が小笠原真影両流の護身術と棒術の奥義を蓄積した素浪人から伝授を受けて百姓に伝えた。
染竹棒踊り熊本県昭和30年(1955)頃、水俣市寒川地区の人達が出稼ぎに行った先でその棒踊りを見て気に入って伝授してもらった。
芝口棒踊り熊本県文政4年(1821)、七百町新地に入植した人々の収穫祭の娯楽と伝わる。
西伊仙東棒踊り熊本県昭和2年(1927)、陸軍熊本第45連隊に所属した吉見福靜氏が広めた。
川満の棒踊り沖縄県約340年前に流行した疫病のため、無病息災として始まった。宮古島市指定無形民俗文化財
新里の棒踊り沖縄県約250年前の大津波で打撃を受けて、五穀豊穣を感謝し、部落の発展を祈願したのが始まりと伝わる。
前田の棒沖縄県棒術が農民の祭りに取り入れられて無病息災を祈願する。浦添市指定無形民俗文化財
与那国棒沖縄県300年以上前、首里出身の棒術者が与那国に漂着し、娘に棒術を伝授したことから始まる。
スマーチ沖縄県渦を作る集団棒演武。500年以上前に石垣島川平村の仲間満慶山英極の棒伝承とも、330年前に武士中村が首里の「西の平」から習ったとも伝わる。

(5)現代における棒踊りの意義

棒踊りは、単なる伝統芸能ではなく、現代においてもさまざまな形で意義を持ち続けています。

文化の継承

地域の祭りや伝統行事で受け継がれ、多くの若者が参加しています。

地域の活性化

祭りの一環として披露されることで、地域の観光振興にも寄与しています。


2. 四国・高知県香南市に伝わる棒踊りと獅子舞

(1)山北棒踊り

山北棒踊りは、正徳元年(1711)頃、土佐藩主の補佐役であった山内規重が山北に幽閉されていた際、家臣の苅谷又右衛門らが退屈を紛らわせるために村の青年たちに棒術を教えたことが起源とされています。「サイサイサイ」との掛け声で、踊りというよりも武術に近い演技が特徴です。白装束をまとった地元の青年たちによる「車返し」「棒返し」「酔うたんぼ」の演目が、女児による浦安の舞や、天狗と獅子の獅子舞と合わせて浅上王子宮の秋季大祭に奉納されています。

(2)立山神社の棒術・獅子舞

立山神社の棒術は、関ヶ原合戦後に山内土佐藩によって武器を取り上げられた香宗我部氏の遺臣達が、農具の柄をとって武器にしました。黒装束の青年たちによる2人が相対する小棒と2組が相対する二十人棒があり、立山神社への五穀豊穣の祈願と合わせて獅子舞とともに奉納されています。


3.棒術が神社奉納や獅子とともに根付いた祭り

九州や四国以外にも、日本各地には神社例大祭で六尺棒が使われるお祭りや民俗芸能がたくさん残されています。主に、棒術から発祥した祭りと、獅子舞と棒で五穀豊穣を祈願する祭りの2パターンがあります。

(1)棒術流派が見られる神社の祭り一覧

奉納地域(県)概要
滝尻棒ささら福島県戦国時代の剣術家・塚原ト伝の流れを組む棒術が、江戸時代に農民たちに伝授されたと伝わる。棒術12演目。三匹獅子舞も残る。
小天狗流杖術栃木県市指定民俗文化財の関白流獅子舞と共に木八幡宮に奉納される48手の型。栃木県指定無形民俗文化財。
仮山伏の棒遣い新潟県戦国時代に山伏が武術を身に付けたことに由来する。関山神社に奉納。新潟県県指定無形民俗文化財。
三島の棒術と羯鼓舞千葉県鎌倉時代の奉納試合が由来と伝わる。獅子を竜に例えた羯鼓舞と共に三島神社の秋の祭礼で奉納される。
下根獅子舞・棒剣術千葉県香取神社の秋例祭で、300年前から伝わる三匹獅子舞と棒剣術が奉納される。野田市指定無形民俗文化財。
原馬室の獅子舞・棒術埼玉県天正2年(1574)から続くと伝わる鴻巣市の各神社で獅子舞とともに奉納される33手の型。埼玉県指定無形民俗文化財
棒の手愛知県愛知県指定文化財、市町村指定文化財などに指定される棒術奉納が県内各地に点在している。詳しくはこちら
小木棒の手岐阜県平安時代の武将・木曽義仲の家臣の流れを組む棒術が伝承されたと伝わる。諏訪神社に奉納される。岐阜県指定文化財。
南山城村田山の花踊り京都府京都府指定無形民俗文化財の花踊りの行列とともに、源義経から教わったとされる長谷川流棒術が披露される。
棒遣い岡山県平安時代から続く県指定文化財の加茂大祭で、獅子舞とともに竹内流と伝わる棒術が奉納される。

(2)五穀豊穣・雨乞い・信仰など棒が使われる神社の祭り一覧

奉納地域(県)概要
獅子踊秋田県江戸時代に秋田藩の佐竹氏が伝えたものや舟人が伝えたものがあり、地域各所で獅子踊りとともに奉納されている。各市町村無形民俗文化財多数。棒使いには一番棒・二番棒・三番棒・四番棒・五番棒・六番棒などがある。
長井黒獅子まつり山形県
(置賜地方)
時平安時代の前九年の役(1051~1062)に勝利した源頼義が總宮神社を再建したことから始まる。市内各地の神社から六尺棒を持った警固と暴れ黒獅子が登場する。長井市指定無形民俗文化財。
飯豊の獅子祭り山形県
(置賜地方)
300年以上前から町内各地の神社にて六尺棒を持った警固と暴れ黒獅子が登場し、五穀豊穣・無病息災などの祈願される。
白鷹の獅子祭り山形県
(置賜地方)
町内各地の神社にて六尺棒を持った警固と暴れ黒獅子が登場し、五穀豊穣・無病息災などの祈願される。
廣瀬神社御神輿渡御祭福島県廣瀬神社の氏子が六尺棒持ちに先導されて神輿を担ぎながら町を練り歩く。南会津町無形民俗文化財。
鹿島神宮祭頭祭茨城県「イヤートホヨトホヤアー」と歌い、若者や子供が六尺棒を突き上げて練り歩く。
中妻の獅子舞・棒術埼玉県五穀豊穣、家内安全とされる獅子舞とともに千勝神社に奉納される棒術。
小針領家のささら獅子舞埼玉県棒使いの演技で三匹の獅子舞とともに氷川諏訪神社に奉納される。桶川市無形民俗文化財。
藤田神社の獅子舞埼玉県秩父から伝承された獅子舞とともに棒術が奉納される。
野田・下根獅子舞と棒剣術千葉県下根香取神社の例祭で、三匹の獅子舞とともに12手の型が奉納される。由来は分かっていないが野田市無形民俗文化財。
多田良の三つ道具千葉県瀧淵神社の例祭で、棒の型が披露され三匹獅子舞が奉納される。
小宮神社獅子舞東京都小宮神社にて獅子の16演目と棒使い18手の型の演目が奉納される。
立野東町獅子舞富山県福田神社の例祭で天狗と獅子舞演目序盤で六尺棒が登場する。
安吉の獅子舞富山県安吉神明の例祭で天狗が六尺棒で獅子を脅してなだめる。
守山獅子富山県越後から移り住んだ猿屋、篭屋が伝たとされる。天狗が薙刀や六尺棒を持って獅子と戦う。
柱松柴燈神事長野県小菅神社の大祭で獅子舞・猿田彦の演目が奉納される山伏の火祭り。六尺棒持ちによって先導される。国重要無形民俗文化財。
榊山神社神楽踊り広島県榊山神社の例祭で六尺棒と軍配を手に演目が行われる。熊野町無形民俗文化財。

まとめ

今回の記事では「棒踊り」「獅子舞」をはじめとする地域に根ざした伝統郷土芸能や祭事に残る六尺棒が、全国各地にたくさんあることをご覧いただきました。

また、棒術は古くから残る日本のお祭りや獅子舞とともに用いられていることが垣間見れました。一覧に掲載されているものは代表的なもので、棒術が溶け込んでいる民俗芸能やお祭りはもっとたくさん存在していると思います。お住まいの地域でも六尺棒のような長い棒が祭事や儀式に使われているかもしれません。

これを機に、地元に残る民俗文化にご興味が湧きましたら嬉しいです。
また、棒を使っていてお祭りで掲載してほしい場合はお気軽にご連絡ください。

次回は〝信仰を実践する者たちの六尺棒〟についてお伝えできればと思います。長文のためシリーズの記事になることをお許しいただき、次回の投稿をお楽しみにお待ちください。


棒術はこんな人におすすめです

警察官
警備員
フィットネスインストラクター
学校教師
歴史学・民俗学者
宮司・住職・山伏
山岳ガイド・登山好きな人
農家
伝統祭事が残る地域住民
歴史好きな人
護身術に興味ある人
精神・身体操作に興味ある人
現代競技武道の愛好家

棒術は特に上記のような方々にオススメです。ご興味ありましたら、棒術を伝承している古武術道場や保存会活動に加わってみてはいかがでしょうか。きっと歓迎されると思います。

古武道を始めませんか?米沢藩・小山道場