「棒術」とは何なのか?古武術と農民武芸の歴史的な棒術流派は初心者から経験者まで魅了する

棒術とは何なのか

米沢藩・小山道場講師の小山です。

当道場では九鬼神流棒術を中心に古武道を教えています。棒術は非常に裾野が広い古武術で、武士の武術としてだけではなく、僧侶たちの護身術として利用されたり、天狗や修験を伝える獅子踊り、五穀豊穣の田植え踊りなど農民たちのお祭りの神具として伝承されています。

この記事では、棒術に馴染みがない方にも知っていただけるように、棒術とは何かを紹介しながら改めて継承する意義の理解を深めてみたいと思います。また、棒術の魅力や基礎知識、初心者にも分かりやすい解説と、経験者でも新たな発見が得られる内容にするため、数回のシリーズ記事でお届けします。

棒術はこんな人におすすめです

警察官
警備員
フィットネスインストラクター
学校教師
歴史学・民俗学者
宮司・住職・山伏
山岳ガイド・登山好きな人
農家
伝統祭事が残る地域住民
歴史好きな人
護身術に興味ある人
精神・身体操作に興味ある人
現代競技武道の愛好家

本記事が特にオススメの人をはじめに挙げておきます。ご興味ありましたら、ご一読いただき棒術を伝承している古武術道場や保存会活動に加わってみてはいかがでしょうか。きっと歓迎されると思います。なぜ、棒術はこの人たちにオススメなのかもシリーズの最後に書きたいと思います!


目次


九鬼神流棒術道場
九鬼神流棒術

1. 棒術とは?その起源と歴史の概要

棒術は、主に六尺の棒(約180cm)を用いる日本古来の武器術のことです。日本古武道の中でもシンプルかつ奥深い武術で、全国的に残っている古流武術では、剣術や柔術のようには広く知られておらず、一般に馴染みが薄い古武術のひとつです。ただし、その起源は古代日本まで遡り、戦国時代や江戸時代には多くの流派で取り入れられ、武士や僧侶、農民たちの護身術として発展してきました。その裾野の広さを考慮すれば、武器術として昔の日本人に最も受け入れられた武術だったかもしれません。

また、棒術は日本以外にも以下の図のように世界中で見られ、特に中国の棒術は棍術と称されています。沖縄琉球空手でも六尺棍を使用しますが、日本古武術と同様に棒術と称されています。

棒術がある世界地図
世界の棒術

(1) 棒術の成り立ち

棒術の起源は古代の日本や中国の護身術にあります。一説には、弥生時代(B.C.1000–300)から使われていた最も古い武器だったのではないかとも言われています。特に日本では、農民が武器を持つことを禁じられていた時代に、日常的に使われていた棒や杖を活用して自衛する方法として発展したと考えられています。これが武術として体系化され、流派ごとに独自の技法が生まれました。

戦国時代(1467–1615)には槍術や剣術とともに実戦でも用いられ、敵を制圧する技術として磨かれました。江戸時代以降の棒術は護身術や精神修養の側面が強調されて道場や神社仏閣で伝承され、城門や山門、大名を警護するために利用されたり、奉行所など治安維持組織の捕手術や逮捕術の道具としても利用されました。

六尺棒を持って城門を警護する門番
六尺棒を持つ城門を守る門番

(2)棒術を使った主な職業

  • 武士(特に大名警護役)
  • 治安維持役の武士、町民
  • 番人、牢番、刑罰執行役
  • 出家した衆徒(神官、僧侶、僧兵含む)
  • 山伏、修験行者
  • 農民
  • 行商人

棒術の稽古をする僧侶
棒術の稽古をする僧侶

(3) 武器としての棒の形状と材質

流派によっては、長さや太さ、材質は異なりますが、主に均一の太さで磨いて滑りやすくした六尺棒(約180cm)です。材質は一般的に樫木(白樫や赤樫)です。樫木棒の他、古い文献には、柏木棒、金砕棒、鉄棒を使用したり、八角棒や乳切木などがあります。

新調した六尺棒と道着と袴
白樫六尺棒

2.棒術の基本動作と技法

棒術は、シンプルな武器術ですが、様々な古武術を身につけるために必要な体の動作を覚えることが出来る武術です。棒を扱う基本的な動作にそれらが凝縮されており、古来から伝承されている形・型を継承していきます。

(1) 基本の構え方

棒術では、剣術同様に体の中心線を意識した「中段構え」が基本です。この構えは攻防一体の構えで、棒をどの方向にもスムーズに動かせます。中段構えの他に、上段構え、下段構えがあり、流派によって構え方はそれぞれです。その他に、長さを生かして剣術よりも多くの構え方があるのが特徴的です。

九鬼神流棒術道場 形(型)稽古
九鬼神流棒術の稽古

(2) 基本動作

  • 打つ(打撃技): 相手を制圧するために棒を振る動作。
  • 突く(突き技): 棒の先端に力を集中させて相手を突く動作。
  • 受け(受け技): 相手の攻撃を棒で防御する動作。
  • 払う(払い技): 相手の攻撃を棒で受け流しながら反撃する動作。

(3) 形稽古

棒術の稽古では、形(カタ)と呼ばれる決まった動作の組み合わせを学びます。形稽古は動きの流れを覚えるだけでなく、精神統一や集中力を養うための重要な総合トレーニングです。その中に普遍的な理の動きが隠れています。一般的には「初伝」「中伝」「奥伝」や「表」「裏」などとステップアップするように体系化されています。

形の数は流派によって異なり、その流派の武術の形を全部マスター出来た者(棒術以外も含む)は、免許皆伝を与えられます。

3.古武術として伝承する棒術流派

武士の棒術の起源は主に3タイプに分かれます。

  • 戦の中で槍や薙刀が折れて武術とした流派
  • 他流と合併して成立した流派
  • 神仏の御堂で開眼 または 修験系の秘伝を取り入れた流派

以下に古武術として棒術の形を伝承している流派をまとめています。なお、江戸時代以降から現在まで途絶えておらず、入門が可能な道場がある流派のみ掲載しています。

棒術流派一覧

流派地域(県)概要
九鬼神流全国高木流と合併、赤穂藩士 大国鬼平重信が江戸時代前期に広めた棒術
九鬼神伝流全国南北朝時代の薬師丸蔵人隆真から始まった伝承の流派
竹生島流長崎
山形
平安時代後期の源平合戦で難波平治光閑が編み出した棒術
霊山竹生嶋流福島陸奥国伊達郡霊山で伝承された竹生島流棒術の一派
影山流福島丹波国の影山善賀入道が開いて伊達家が継承した兵法
無辺流岩手盛岡藩で伝えられてきた槍術流派
柳生心眼流栃木法祖 柳生十兵衛、流祖 荒木又右衛門
江戸時代初期に新陰流の剣豪が開いた兵法
椿小天狗流富山江戸時代前期の富山藩士とされる椿木小天狗の棒術
無比無敵流茨城槍術家 佐々木哲斎徳久が関ヶ原合戦で使った杖術と称する棒術
荒木流群馬戦国時代に荒木夢仁斎源秀縄より伝承された荒木流拳法
気楽流群馬前田利家の家臣 戸田越後守が開いた柔術
伊勢崎市指定重要無形民俗文化財
天真正伝香取神道流千葉室町時代中期に飯篠長威斎家直によって開かれた兵法
上川原神道香取流埼玉室町時代後期に伝承された神道香取流棒術
熊谷市指定無形民俗文化財
長谷川流奈良鞍馬兵法を源流として江戸中期に長谷川武英が開いた棒術
心月無想柳流兵庫肥前国の岩永源之丞正光が開いた柔術
力信流岡山修験者からの秘伝により、竹内流の官部嵯峨入道家光が江戸時代に開いた流派
竹内流岡山戦国時代に美作国の竹内中務大輔源久盛によって開かれた流派
稲垣養心流岡山戦国時代の稲垣帯刀を流祖とする流派
渋川一流
浅山一流
広島松山藩士とされる首藤蔵之進満時が開いた柔術
淺山一流の棒術を併伝
琉球古武術沖縄琉球の按司時代(南北朝時代)の空手術

あの「神速」の棒術

「神速」と称されて、古武道家だけでなく世界の武道家より高い評価を受けた 黒田鉄山氏 も棒術の使い手でした。同じ埼玉県で道場を構えていた私の師匠も、鉄山氏は「真面目!凄い!」とおっしゃっていました。古武道の棒術は映像資料は多くありません。貴重な映像を月刊秘伝が残しています。

黒田鉄山 プロフィール

1950年埼玉県生まれ。江戸時代末期から一家相伝によって5つの武術流派を継承する家系で、祖父泰治鉄心斎につき家伝の武術を学ぶ。民弥流居合術、駒川改心流剣術、四心多久間流柔術、椿小天狗流棒術、誠玉小栗流殺活術の五流の宗家。武道本来の動きを追求し続け、現代(競技)武道界に飽き足らない多くの武道ファンのスター的な存在だった。令和6年(2024)3月逝去。


小木田の棒の手 © 堀尾久人

4.農民武芸として伝承する棒術

棒術は武士だけの武術ではありません。城主が村民に自衛の手段として棒術を習得させたり、僧将や修験道の山伏が農具となる棒に呪術的な要素を持たせた棒術などがあります。それらは、村の神社仏閣の例大祭での祭事芸能に発展し、現代まで伝承されています。特に、愛知県の棒の手はその代表例です。

(1)棒の手とは

棒の手とは、愛知県尾張と三河の旧国境を中心に伝わる民俗芸能で、農民の自衛手段として武術を習得したものが起源とされています。棒や木刀、真剣、薙刀、槍、鎌などの持ち物を打ち合わせる動作を神社や御堂で奉納演武するもので、武術を念頭に置いた武技の芸能ともいわれています。

(2)棒の手の起源

詳細はわかっていませんが、500年以上は続いていると考えられています。南北朝時代からとも戦国時代からとも伝承されています。江戸時代に棒の手と呼ばれるようになり、それ以前は、棒術、棒突、棒打物仕合、棒仕合と呼ばれていたようです。

  • 農民が戦国乱世の自衛手段として武芸を習得し、これが村の鎮守神の祭礼にした説
  • 南北朝時代に修験道の山伏が関わって農具の棒に神秘的な要素に呪術的なものが加わったとされる説
  • 天文年間(1532-1555)に尾張の岩崎城主・丹羽勘助氏次が村民に棒術を学ばせて、猿投神社に奉納し、武運長久を祈願したのが始まったという説

などなど、棒の手の起源は各地各流派様々ですが、いずれにしても江戸時代近辺に三河国(愛知県)を中心にして棒術の奉納演武が極まったと考えられるでしょう。

5.棒の手として伝承する流派

棒の手の流派をまとめています。起源は主に4タイプに分かれます。

  • 僧将・修験者から伝授された流派
  • 戦国時代に武芸者や剣客が農民に指導した流派
  • 江戸時代に隣村の修験者から伝わってきた流派
  • 江戸時代に何らかの流派をやっていた者が開いて体系化した流派

棒術流派一覧

60以上の地区で約20流派が伝承されています。なお、一覧表のリンクの他にも、県無形民俗文化財、市無形民俗文化財、町無形民俗文化財に指定されている数多くの保存会が存在します。気になる方は、市町村単位で棒の手保存会をお調べください。

流派地域伝承
鎌田流豊田市、西尾市、みよし市戦国時代後期に鎌田兵太寛信が農具を用いて野武士や野盗に対応する技を農民に指導した棒術
見当流豊田市、長久手市、名古屋市、日進市戦国時代後期に加賀の浪人 本田遊無が編み出した棒術
起倒流豊田市、長久手市、瀬戸市、北設楽郡戦国時代後期に那古野の武芸者 起倒治郎左衛門が編み出した棒術
起倒流祈禱立棒瀬戸市
検藤流尾張旭市、春日井市、名古屋市、日進市、豊田市、瀬戸市江戸時代初期に今村の剣客僧藤牧沙門が編み出した棒術
藤牧検藤流豊田市、長久手市江戸時代初期に今村の剣客僧藤牧沙門が編み出した棒術
検藤流、高縄石清流、藤牧流の合併流派
鷹羽検藤流長久手市、名古屋市、豊田市
片山検藤流瀬戸市
源氏天流名古屋市、春日井市、小牧市清和天皇の子孫・源義家を流祖とする棒術
神影流名古屋市、江南市、小牧市神影流の達人 伊庭軍兵衛が復活し受け継いだ棒術
無二流尾張旭市、多治見市、瀬戸市南北朝時代に南朝方の僧将 水野又太郎良春が吉野金峰山寺の吉水院宗信法印から伝授された棒術
式部流安城市戦国時代中期に今川義元の家臣 式部某が落ち延びて農民に教えた棒術
夢想流豊明市江戸時代後期に庄中の森下里右衛門が伝えた棒術
真影流名古屋市、江南市江戸時代後期に熱田神宮や善進神明社で披露された棒術
直心我流尾張旭市江戸時代に猪子石村の修験者比企良雄から棒を伝授された八木弥市郎博章が伝えた棒術
東軍流尾張旭市、春日井市江戸時代に修験者だった伝昌院伝寿が伝えた棒術
直師夢想東軍流尾張旭市江戸時代に出来町の蓬師範を師事した森下理右衛門が開いた棒術
検藤高羽流愛知郡東郷町、安城市
関生高羽検当藤牧流愛知郡東郷町
渚流弥富市
真陰流春日井市

三河国(愛知県)は棒術の聖地

日本で最も有名な時代劇であるNHK大河ドラマ「どうする家康」でも、若き徳川家康が今川氏真と棒術の稽古をしているのが描かれました。こういったことからも、三河国(愛知県)では棒術が最もポピュラーな武術で、その民衆らが使った流派を守り続ける貴重な地域です。大切にしていきたいですね。


まとめ

今回の記事はいかがでしたでしょうか?まずは、武士伝承の棒術と農民伝承の棒術をご覧いただきました。

棒術は自衛や戦闘の手段だけで伝承されているのではなく、特別な祭事や例祭で奉納のために継承されていることが分かりました。次回は〝棒術・棒の手のように流派の継承は途絶えたが、伝統祭りや生活のアイテムとして溶け込んだ六尺棒〟についてお伝えします。長文のためシリーズの記事になることをお許しいただき、次回の投稿をお楽しみにお待ちください。

古武道を始めませんか?米沢藩・小山道場
参考文献とURL

米沢藩小山道場の古武道についてはこちら

第一義
江戸時代(今より150年以上前)まで武術や武芸の流派として体系化されて、現代まで守り受け繋がれている日本古来の武道のことです。言ってしまえば〝国を守るために侍が身につけた武術〟です。現在、日本には100以上の古武道流派が残っています。剣術、柔術、槍術、弓術、砲術 etc...これらが現代武道の原点です。米沢藩・小山道場では、上杉謙信公の「第一義」の扁額と共に古武術稽古ができます。