新年2025の米沢は晴天で幕開けだ!稽古納めから甲子大黒天での年越しと上杉神社への初詣!
明けましておめでとうございます。米沢藩・小山道場講師の小山です。
令和7年(2025年)がとうとう明けました。米沢藩・小山道場一同、今年も精進してまいりますのでよろしくお願い申し上げます。
さて、当道場では米沢藩当時の武士文化や風習を大切に体験しながら古武術を学んでいます。年末年始は小野川温泉にある甲子大黒天本山で年を越し、元日には松岬公園の上杉神社で初詣をしてきました。年末年始にどんなことがあったのか日記的にご紹介します。
1.米沢市営武道館:稽古納め
年末の稽古納めの日は大雪で極寒の道場でした。
稽古内容の詳細は省きますが、2024年中に習った形を全ておさらいしました。門下生の遠藤円さんは稽古の成果が実って革底足袋をゲットすることができました。これで新年からの稽古の寒さ対策が全て整いました。いつもより早く稽古を終え、米沢市営武道館を大掃除をしました。神棚と床と畳は、他の剣道教室や柔道教室が掃除をしてくれていました。当道場では一年間使用させていただいた感謝をこめて「第一義」の扁額の煤落としをしました。
米沢市営武道館には、上杉謙信公(藤原輝虎)の書の複製が、金字額入りで神棚に向かうように飾られています。米沢の歴史とその古武術を継承する上で最も大切にしたい言葉です。箒で額をなぞると雪のように埃が舞い降りました。
2.元米沢藩山伏寺:甲子大黒天本山で年越しと一番祈祷
大晦日は雨が降り大雪に変わりました。
私は毎年、小野川温泉の小町山に鎮座する甲子大黒天本山で一番祈祷をいただきながら年を越しています。また、門下生の円さんが歳女ということもあり、厄除けとして一緒に一番祈祷に参加されました。
この甲子大黒天本山は山伏寺で、明治政府による神仏分離令によって寺院と神社に分離しました。寺院機能はここに移動し、神社機能は米沢城下内の白子神社にとどまりました。歴史を辿ると、上杉家や米沢藩領の藩民は山岳信仰を大切にしており、米沢藩士の半農藩士たちは山伏で構成されています。
そんな米沢藩の歴史的な信仰を受け継ぐ山伏寺に登って、年明けすぐに始まる一番祈祷に参加しました。御祈祷後はここで新年初めてとなる食事をいただきます。今年は縁起物とされる三品(ゆりね、黒豆、甘栗)をご馳走になりました。ちなみに、おみくじも引きました。円さんは大吉を引き当て、境内の蝋燭の火でじっくりと読んでいました。新年早々に縁起がよく、さっそくご祈祷の厄が除けが効いているようでした。
3.元米沢城址:上杉神社へ新年の初詣
新年元日は雲ひとつない晴天でした。
私は毎年1月に「登城」と称して松岬公園にある松岬神社・上杉神社・春日神社の三社にお参りしています。円さんのたっての希望により元日初詣に行ってきました。駐車場は渋滞し、参道も参拝者の列で混み合っていました。
参拝を終えて社務所にご挨拶に伺うと、ちょうど大乗寺宮司がいらっしゃって話しかけて来てくださいました。晴れ渡る空と同じくらいご機嫌で、上杉神社は良き新年をお迎えできているようでした。私と大乗寺宮司の関係は以前こちらに書いたことがあるため省略しますが、円さんが門下生で元・熊野大社の巫女であったことを宮司に紹介差し上げたら、大変に気に入っていただき長話になりました。きっと、宮司は円さんの顔を忘れません。新年の円さんは厄年どころかツイていて、米沢藩領の代表的な神社仏閣が彼女を守ってくれているような気がしました。
4.おわりに:古武道のすゝめ
本年も米沢に住んでいるからこその年末年始を過ごすことができました。
上杉家は江戸城下の治安を守る弾正台だったこともあり、米沢藩は15万石の藩領の割に数多くの武士数を抱えた藩です。そんなこともあってなのか、現在でも正月になれば米沢城址に多くの米沢市民が訪れて参拝しています。先祖が大切にしていた場所を参詣することは、とても良いことだと思います。そして、そういった場所での縁は、自分のルーツや先祖の功績を知っているとただの偶然の出会いではなく、必然の縁に思えることがたくさんあります。
私はそれを「他生の縁」と呼び、そこでの出会いや出来事を楽しんでいます。
そんなことを発信している私は、周囲から信心深い人や独特の世界を持っている人と思われがちです。
しかし、実はそうでもありません。信心深くもなく独特な世界観を持っている訳でもありません。理由は単純明快で、過去から現存している風習と歴史の中で命が自分まで繋がってきているのだから、その日本の郷土と日本人の歴史感覚が風化しないように、原点を大切に興そうとしている一人にすぎないのです。
こういった人が地域からいなくなると、国や地方はすぐに共同体としての誇りを忘れて、各々が自分の儲けと自己保身ばかりの仕事を始めます。そして、儲けられない人は住み続けることができなくなっていきます。それが、結果的に人口減少に繋がり、国力を低下させる負のスパイラルを生み出しているのです。そうなってしまうと、民は道徳性を欠いて“出る杭を打つ”“足を引っ張っぱる”などの言葉通りの奪い合う現象が起きます。住みにくい土地として過疎化していくのです。
したがって、私がやっていることや感覚は、国(住んでいる地域)を守っていた昔の日本人からすれば当たり前のことです。
そして、その日本人が本来持っていた感覚は、学力や運動能力と同じように訓練することで簡単に高めることができます。古武道は、まさにその方法のひとつです。身につければ他人に教えてあげる上に、日本の歴史継承と伝承活動に繋がります。現在では、インバウンドの観光体験コンテンツとしても派生できる一石二鳥にも四鳥にもなる市民活動なのです。
そのような活動自体が、人命と同じく失ってから大切さに気付いても遅いのです。
そんなことを心に秘めながら、新年も当道場は古武道の稽古と啓蒙に精を出すとともに、地域の歴史を自分達の体で感じながら人々との縁と歴史を掘り起こし続けていきます。そして、いつか本当に国や地方を大切に思って上に立てる若者に出会えることを楽しみにしています。もし、当道場の活動や米沢に少しでも興味が湧きましたら、お気軽にお問い合わせいただけましたら幸いです。
新年の全体稽古初めは1月10日(金)からですっ!!
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最後まで記事をお読みいただいてありがとうございます。仕事や講演の相談もお気軽にどうぞ。米沢藩・小山道場講師。江戸幕府から米沢藩士になった藤原氏の末裔。【古武道流派】九鬼神流棒術(紀州熊野)/甲源一刀流剣術(甲斐)/浅山一伝流体術(会津)【所属団体役職】置賜民俗学会(会員)/米沢商工会議所(議員)【職業】HanaCinema株式会社/映像・ウェブクリエイティブディレクター。