さすが米沢興譲館の高校生だ!上杉鷹山公の教えを貫き米沢藩士の子孫らしく生きよ!

米沢興譲館高校生が古武道の稽古に!上杉鷹山公の教えを貫け!

米沢興譲館の高校生が古武道に挑戦!

こんばんは。米沢藩・小山道場講師の小山です。

山形県米沢市には、日本最古の公立高校である山形県立米沢興譲館高校があります。米沢藩第九代藩主・上杉鷹山公の命により、安永5年(1776年)に藩校・興譲館として設立された歴史ある高校です。その命名は、鷹山公の師であった細井平洲(江戸時代の儒学者・尾張藩校明倫堂の初代督学)によるもので、現在でも米沢興譲館高校は山形県置賜地方で学力トップを誇る名門校として知られています。

現在、米沢興譲館に通う高校生の堀内君が、古武道を学ぶために当道場に通ってくれています。彼は日本の伝統文化や武道の歴史に強い関心を持ち、ただ調べるだけでなく、実際に体験できる機会を探して積極的に参加しています。

通常、当道場の稽古日は毎週火曜と金曜の夜ですが、堀内君の熱意に応えるために、祝日の月曜日にも門下生が集まって特別稽古を行っています。彼の情熱が周囲の大人を動かしています。地元の高校生が地元の文化や歴史に触れることは、将来、日本の伝統を受け継ぐ上でとても大切なことだと思います。

米沢興譲館高校生が古武道の稽古に!上杉鷹山公の教えを貫け!

古武道体験ができる全国の学校

堀内君のように古武道に興味を持つ高校生は全国に増えています。以下は、古武道部のある学校の一部です。

米沢市は上杉の城下町で観光の核に据えていますから、藩校だった米沢興譲館に古武道部があっても良いものですが、現時点ではありません。そんな中で、堀内君は自主的に古武道の学びを求め、当道場の門を叩いてくれたのです。彼は、探究しはじめているのです。実に素晴らしいことです。

米沢興譲館高校生が古武道の稽古に!上杉鷹山公の教えを貫け!

棒術・剣術・体術の稽古

堀内君の稽古は今回で3回目です。棒術、剣術、体術を行いました。

棒術では、基本動作と連続打ち込みを稽古しました。今回は彼の情熱に応えるべく、私は少し強めに打ち込みましたが、彼は負けじとしっかり応じていました。武術をやっていない成人男性なら棒を吹き飛ばされるぐらいの打撃です。門下生もその打撃音を聞いて注目していました。

剣術は、構えから素振りまでの稽古です。剣道では滅多に見られない八相の構えや下段の構えを通して、真剣を扱うための基本動作を学びました。剣術はスポーツではなく、刀を扱うための技術であることを堀内君も理解し、真剣に取り組んでいました。

体術浅山一伝流体術の形を復習し、新たな技も学びました。体術を通じて護身術も学ぶことができ、堀内君も自分の体で相手を崩すことができる感覚に驚いていたようです。彼の表情から感動しているように見えました。

米沢興譲館高校生・卒業生へのメッセージ

私は堀内君のご両親とも交流があり、彼の家のルーツも少し知っています。そのため、夜間の稽古に対して母親も理解を示し、安心して送り出してくれています。米沢市には米沢藩士の子孫が多く、その若者たちが古武道に興味を持つのは自然なことです。そんな彼らは古武道のセンスがあります。また、体験すると感動したかのように素直に驚いてくれます。自分の体の動かし方次第で、自分が思っている以上の力が発揮されるからです。私は、その時の表情を見るのが大好きです。

君の体は、君が思っているよりも有能だ。
米沢という地域も同じ。その能力を引き出せるかどうかは、君の行動次第だ!

上杉鷹山公なせば成るなさねば成らぬ何事も
上杉鷹山公銅像

上杉鷹山公が米沢藩を復興した気概と姿勢

「なせばなる」の言葉で知られる上杉鷹山公は、藩校・興譲館を創設した米沢藩第九代藩主であり、米沢の歴史を支えた人物です。鷹山公は日本武道と上杉家の祖神を祀っている春日神社に隠密で誓詞を残しています。

民の父母となり、学問と武術を怠らず、質素倹約を守り、賞罰を正しく行う
上杉治憲(鷹山)

学問と武術を一対として重んじ、体で覚えて実践することを大切にしていたのです。古武術は、日本人としての精神と道徳を鍛えることにも繋がります。若い頃から学ぶことは、日本人の精神や道徳の形成にも繋がります。これが自己の体で一対となることで、学問が国や地域のために発揮されることを、鷹山公は教えてくれています。

上杉神社の境内にある春日神社
春日神社

米沢興譲館の誇りと伝統を受け継ごう

最後に、米沢興譲館高校が日本最古の公立高校であることを誇りに思い、上杉鷹山公の教えを胸に、米沢の若者たちが日本文化や古武道を学び、伝統を継承していくことを願っています。米沢在住の皆さんも古武道の稽古を通じて、鷹山公の真の精神に触れてみませんか?

新たに事を取り立てるより
廃れたるを興すは人情いつも平なるものなり
上杉治憲(鷹山)

米沢藩・藩校興譲館設立の歴史

年代出来事
元和4年(1618)直江兼続が学問所禅林文庫を設立(現、米沢市城北2丁目 法泉寺文殊堂)する。
元禄10年(1697)米沢藩第3代藩主 上杉定勝が佐野玄誉を儒職として招聘する。
米沢藩第4代藩主 上杉綱憲が儒臣・矢尾板三印の邸宅・感麟殿に学問所を建立(現、米沢市中央2丁目 医師会館)する。
宝暦10年(1760)高鍋藩6代藩主 秋月種美 の二男・直松(後の上杉治憲/鷹山)が米沢藩第8代藩主 上杉重定 の養子となる。
宝暦11年(1761)上杉重定が細井平洲を招いて聴講する。
明和元年(1764)細井平洲が世子直丸(後の上杉治憲/鷹山)の師範となる。
明和4年(1767)米沢藩第9代藩主 上杉治憲/鷹山(17歳)が家督を継ぐ。
明和7年(1770)米沢藩奉行の竹俣当綱(佐々木源氏)が学館設立を発議する。
明和8年(1771)細井平洲が米沢第一次下向。松桜館(興譲館の前身)において諸生18人に教授する。
米沢藩五十騎組の神保綱忠(神保忠昭の子/一刀流剣術家)が松桜館長として細井平洲を補佐する。
安永4年(1775)米沢藩馬廻組の莅戸善政が御用掛に任命され、学館建設を開始する。
安永5年(1776)学館落成、細井平洲によって興譲館と命名。定詰勤学生20名、儒臣・片山一積と神保綱忠が提学に任命される。
細井平洲が第二次米沢下向し、興譲館の学制を定め、『管子』弟子職の中の[学則」を揮毫する。学館において書経を講じる。
天明5年(1785)上杉治憲/鷹山(35歳)が隠居する。揮毫「先聖殿」の扁額を興譲館聖堂に掲額する。
米沢興譲館同窓会HPより抜粋ならびに補足
文化6年(1809)米沢興譲館之図 米沢市上杉博物館 @uesugi_museum

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米沢藩小山道場では、古武道仲間を募集しています。米沢市営武道館内での習い事として稽古に参加できます。個人会員の他、家族も一緒に入会できます。入会希望者は「道場…

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第一義
江戸時代(今より150年以上前)まで武術や武芸の流派として体系化されて、現代まで守り受け繋がれている日本古来の武道のことです。言ってしまえば〝国を守るために侍が身につけた武術〟です。現在、日本には100以上の古武道流派が残っています。剣術、柔術、槍術、弓術、砲術 etc...これらが現代武道の原点です。米沢藩・小山道場では、上杉謙信公の「第一義」の扁額と共に古武術稽古ができます。