米沢上杉まつり2025 上杉神社/春日神社へ古武術奉納演武会の許可詣り

8月の上杉神社舞鶴橋

こんにちは。米沢藩・小山道場講師の小山です。

皆様お盆はいかがお過ごしになりましたでしょうか?私は盆送りしないまま、上杉神社ならびに春日神社に奉納演武の許可詣りをしてきました。来年の米沢上杉まつり2025にて古武術奉納演武会を復活させるためです。

保護者同伴ならぬ先祖同伴というわけです(笑)

上杉鷹山公を祀る「松岬神社」参拝

まずは、松岬神社の上杉鷹山公に手を合わせさせていただきました。私の先祖が警護役として仕えたお殿様です。江戸時代中期に米沢藩が潰れそうになった際に復活させ、米沢藩中興の祖と呼ばれています。明治時代には、代表的日本人のひとりとして世界へ紹介され、戦前までは、全国の尋常小学校で上杉鷹山公が教えられていました。

もともとは上杉神社に祀られていましたが、明治時代に松岬神社が建立されて分霊されました。
上杉鷹山公の他に、上杉景勝公、直江兼続細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政も祀られました。

ここには、上杉鷹山公が家督を譲る際に 藩主の心得として次期藩主・治広公に伝承した言葉である伝国の辞の碑があります。

 一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
 一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候

と。現代訳すると以下のようなことが書いてあります。

 一、国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で身勝手にしてはならないものです。
 一、人民は国家に属しているから人民であって、自分勝手にしてはならないものです。
 一、君主は国家と人民のために立てられているのであって、君主のための国家や人民ではありません。

きっと、鷹山公が殿様になる前は、全く逆の藩政が行われていたから、こういった言葉を残されたのでしょう。
短命ではありましたが、治広公もこれをしっかり守りって次代に繋げました。
米沢市の政財界と市職員、日本国を預かる国会議員と官僚らに心底聞かせたい言葉です。

上杉謙信公の「御堂跡」と米沢藩士の「招魂碑」参拝

次に、明治時代まで上杉謙信公が眠っていた御堂跡と、戊辰戦争ならびに西南戦争・日清日露戦争で亡くなった米沢藩士らが眠る招魂碑にも手を合わせました。
上杉家が最も神聖な場所としていた桜が綺麗に咲く上杉神社の高台です。私の曽祖父や遠縁の一族の御霊もここに習合されています。

外国人観光客の方とすれ違いました。米沢市にもインバウンドの観光客が来ているのですね。

ここには、多言語看板がありませんから、そろそろ外国人やよそ者を歓迎し、米沢市を深く知って発信してもらう意味でも付けた方がいいかもしれません。先人たちの御霊を無駄にしないためにも。

上杉神社再建を伝える「奉牛車碑」参拝

上杉神社再建を伝える奉牛車碑にもお参りしました。現代はこの存在を知っている人はほとんどいないでしょう。上杉神社境内にある上杉鷹山公の銅像の影に隠れていて、伊達政宗生誕の地の碑から登ることができます。人が分入らないので雨の時期は、実に苔が美しい場所です。

上杉神社は大正時代の米沢大火により焼失しています。再建には多額のお金が必要でした。それにより再建するまでにかなりの労力と時間がかかりました。おそらく、当時は反対者が多くいたのだと思われます。無事、再建された経緯と功績が上杉憲章公による題額により、ここに記されています。牛車(ぎっしゃ)に乗って資材が運ばれてきたと。

牛車は、平安時代からの貴族の乗り物で、伊勢・熊野信仰、天神信仰、妙見信仰などの神聖な儀式としても用いられました。再建にあたっては、古代からの儀式が行われたということです。私が知っている歴史では、現在の米沢駅付近から牛車で轢いたらしいですよ。

上杉神社権禰宜へ相談「上杉神社社務所」伺い

各所への参拝をしながら一之鳥居をくぐって、ようやく社務所を訪ねました。上杉神社権禰宜(宮司)の大乗寺さんとは久々にお会いしました。そして、久々に〝シラフ〟でお話しをしました(笑)お忙しそうに、次から次へと御朱印帳を書いていました。

「新しい仕事をしている〝安倍くん〟らしからぬ。あの柴田さんの古武道を引き継いだとは驚いたね!」と、開口一番にネタなのかマジなのか分からない名前ボケをいただきましたので「いやいや、〝小山〟ですから。相変わらず神職らしくないですね!」と、ツッコミを入れさせていただきました。

権禰宜は、凛々しい顔と声に似合わず非常に親しみがある方です。私の古武術の師匠である柴田先生とも顔馴染みで、米沢道場に門下生がたくさんいて元気だった頃は毎年、奉納演武を行っていたようです。
また、私個人としても、18年前に映像制作会社を興した時から神前結婚式の撮影や、米沢商工会議所青年部の理事者へ特別なご祈祷をいただいたりなど、何かとお世話になっていました。

そして、何よりも私の先祖は上杉家の警護役だったので、米沢城内の大乗寺とはそもそも仲が良かったのです。
そんな他生の縁をいただきながら、

米沢上杉まつり2025開催期間中の古武術奉納演武会の許可をいただきました!
大乗寺さん、ありがとうございます!


奉納演武会場予定の「神楽殿」下見

上杉神社神楽殿

米沢城跡に、上杉神社に向かって建てられた神楽殿です。通常は締め切られていますが、故・柴田先生がここで奉納演武を行なっていたということです。きっと、米沢上杉まつり2025では、米沢藩小山道場の門下生たちもここで奉納演武をすることになると思います。ちょうど、先生が亡くなって一周忌ぐらいです。

この奉納演武では、当道場以外にも米沢に縁ある古武術を実践する方々に参加いただき、上杉神社に参拝に来られた多くの方々にもご覧いただけますよう盛大に行いたいと思っています。

詳細は決まり次第、ホームページにてお知らせするとともに、関係いただきたい方々へもご相談差し上げていきたいと思います。

上杉謙信公を祀る「上杉神社」ならびに末社「稲荷神社・弁財天」参拝

権禰宜に許可をいただきましたので、米沢上杉まつりでの御祭神であり、米沢藩上杉家の祖・上杉謙信公にご報告させていただきました。

無事に何事もなく、古武術奉納演武会が開催できますように。

上杉謙信公は、戦国時代最強と恐れられて慕われた大名です。同じく、勇猛果敢に戦った猛者揃いの米沢市民の先祖にあたる武将と武士団を従えました。

その隣にある江戸時代に米沢藩を救ったという白狐と、奥宮である弁財天にも同じようにお参りさせていただきました。

日本武道の神と上杉家の祖神祀る「春日神社」参拝

春日神社は奈良春日大社の分霊で、上杉家が大切にした氏神です。日本武道の神である武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られています。また、上杉家の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)とその妃・比売神(ひめがみ)が祀られています。

上杉鷹山公が熱心に信仰したことでも知られ、以下のような内容の碑が境内には残されています。鷹山公が藩主になる際の決意を内密に記した誓詞です。

民の父母の心構えを第一とする。
学問・武術を怠らない。
質素・倹約を忘れぬ。
賞罰は正しく行う。

私も、春日神社に誓いつつ、米沢上杉まつりでの古武術演武会まで力をお貸しいただけるように祈願しました。そして、私の一族も上杉家と同じ藤原氏ですので祖神は同じです。今年はここで先祖たちとお別れすることにしました。ポケモンGOをやっている人たちがたくさんいましたが、捕まらずに帰られましたでしょうか?(笑)

盆を過ぎてもついてきてくれた先祖たちに、ありがとう。

上杉神社の参拝どころも含めて長々と書きましたが、ここまでお読みいただけた方とは、来春の上杉まつり2025でお会いできましたら幸いです。境内で古武術演武会を見かけたらお気軽に私に声をかけてください!

そして、米沢藩小山道場の門下生は、それまで一つでも多くの形を習得できるように一生懸命稽古を頑張りましょう!

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古武道とは、江戸時代(今より150年以上前)まで武術や武芸の流派として体系化され、現代まで守り受け繋がれている日本古来の武道のことです。

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