山形県川西町夏祭り!伝統の黒獅子と五穀豊穣の花火に飯豊山信仰の息吹を感じる

川西夏祭り

こんにちは。米沢藩・小山道場講師の小山です。

今年もお盆休みがやってきました。8月11日の山の日はいかがお過ごしでしたでしょうか?山の日は、"山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日"として平成28年(2016)に国民の祝日として制定されました。日本の国土のほとんどが山林です。現在は、忘れかけられていますが、日本人はそもそも山に馴染み深い国民です。文明開花以前の江戸時代までは山岳信仰が非常に盛んでした。

江戸時代、現在の山形県置賜地方のほとんどは上杉氏が治める米沢藩領でした。その頃は、藩民の男の大多数が在家と呼ばれる行者あるいは山伏でした。特に、徳川幕府が信仰していた「湯殿山信仰」は厚く、その他にも米沢藩、会津藩、新発田藩が信仰していた「飯豊山信仰」がありました。この山々へは、星座を道標にしたドラゴンロードが米沢藩領から続いていました。 

湯殿山

飯豊山

飯豊山はその時代時代に衰退しては復活している信仰です。米沢藩領の稲の先祖がなっていた地として五穀の神仏が祀ってある聖地でした。農家の代表は都度、この山を登って五穀豊穣を祈りました。また、米沢藩領で元服する男子は皆んな飯豊山に登り、現代でいうところの成人式も行なっていました。

現代では馴染みがなくなりましたが、大乗仏教の教えには山川草木という言葉があるように、昔の人は人間も草木も同じ生命であり国を支える存在と考えていたのです。だから、米沢藩領に住む藩民は、飯豊山に登って五穀豊穣を祈るとともに、大人になる子供達の成長を祈願していたのです。

川西夏祭り

さて、夏は夜。

米沢藩・小山道場ご一行で川西町夏祭りに行ってきましたので、このお祭りについて少しご紹介します。

あいにくの台風が迫っておりましたが、山形県置賜地方は月が出なくとも“黒獅子が舞えばさらなり”と言わんばかりに、雨がほとんど降らず青々とした田圃に西日が差し込みました。山の日に五穀豊穣の花火が咲き誇りました!!

黒獅子舞

黒獅子舞とは、平安時代末期から続く山形県置賜地方特有の獅子舞です。現在でも、山開きとなる春に大規模に踊られている長井市の黒獅子祭りの黒獅子舞をはじめとして、白鷹町、飯豊町、川西町で踊られています。

波の紋様がついている黒獅子は水の神様です。山の神様が川を下って里に降りてくるのです。水は、田畑を潤わす生命になくてはならない存在です。その黒獅子を警固と呼ばれる力士がアテンドをします。警固は化粧回しを身につけ、暴れ回る黒獅子を六尺棒でコントロールしていきます。

クライマックスは、鳥居の前での警固と黒獅子の力比べです。これがいわゆる日本神話にある相撲で、現在の大相撲の起源です。実際に警固役は、その地区で最も相撲が強い人が選ばれています。

このお祭りで使用する六尺棒は山岳信仰の神事のためのものですが、江戸時代までは神職や仏僧をはじめとして大名を警護する武家の武術としても利用されました。古武術としては当道場で教えていますので、ご興味ありましたらこちらをご覧ください。

獅子踊り

獅子踊りとは、平安時代初めから続く山形県置賜地方特有の獅子踊りです。現在でも、夏頃になると川西町の獅子踊りをはじめとして、米沢市、飯豊町、長井市で踊られています。

川西町の獅子踊りは、平安時代に実在した藤原仲麻呂の子である高僧・徳一を慰めるために踊ったことを発祥とし、豊作の年にのみ踊ることが許された豊年獅子踊としても知られた珍しい獅子踊りです。

山形県置賜地方に僅かに残っている田植え踊りと同じように花笠と早乙女(女装した男性)が演奏し、クライマックスでは火の輪をくぐる“狂い獅子”が見られます。成功した後にはしゃいでいるように踊る姿は何とも可愛らしさがあります。

このお祭りの獅子踊りは火の輪を潜ります。その由来はわかっておりませんが、山岳信仰で火はとても神聖なものです。修験では、山に入る前には火を焚き、飛び越え、行の終わりに火を焚いて渡る儀式があります。一度、死んで母(山)の胎内に入り、行を積んで生まれ変わる擬死再生を表している儀式です。おそらく、徳一が山岳信仰に入っていった伝説を伝えているものと私の目からは見てとれます。それは里の稲と子供たちの無病息災を祈願したものと思われます。

川西夏祭り花火

五穀豊穣の打ち上げ花火

川西町夏祭りでは、黒獅子と獅子踊りが終わると田んぼのど真ん中から花火が打ち上がります。その数およそ3,000発、最大5号玉(直径150m)の花火が夜空に咲き誇ります。1部と2部になっていて、途中休憩はありますがたった40分程度で打ち上げが終わるため、ひっきりなしに打ち上がり続けるので見応えは十分です。

田んぼから上がる花火は珍しく、お盆前の死者の慰霊の花火でなく地域の五穀豊穣祈念の花火であることが分かります。

昔々から飯豊山信仰に紐づいて暮らしてきた川西町らしい花火です。黒獅子と獅子踊りのありがたさが相まって、日頃のお米も美味しく食べられることでしょう。

実は、コロナ禍と大型台風の影響で、一時は中止されていた夏祭りでしたが今年は米沢藩領に花火が咲きました!

山形県置賜地方の人々は、ずっとずっと昔から飯豊山からいただいた稲と自然の恵みと共に暮らしてきました。

そして、山の神を里の田畑にお招きする伝統行事が今でも行われているのです。

米沢藩・小山道場からの感想

当道場に「棒術を習いたい」とやってきた米国人のジェーさんも、地域の子供たちと一緒に黒獅子に噛んでもらいました。きっと、この地域の文化とルーツを大切にしながら、伝統の棒術を学んでくれることでしょう。

川西町民の円さんは花火が終わる前に私にお話してくれました。「地元が楽しかったことを思い出しました」と。この言葉を聞いて、幸せな気持ちになったことは言うまでもありません。

一緒に行った仲間たちは、全員が全員「楽しかった!」と口々にしていました。そして、また一緒に出かける約束をしました。このお祭りは、間違いなく仲間同士の絆を深めて地元への興味を呼び起こしてくれました。

自分たちのルーツを大切に守り抜いている地元。
そして、山川草木のごとく水のように浸透して教えてくれる人。
さらに、火を飛び越えるがごとく共に成長しあえる仲間と家族。

川西夏祭りは、誇らしい地元とはこういうことなんだと教えてくれているようでした。

川西夏祭り