福島県伊達市にある影山流道場の稽古へ…江戸時代の古民家で奥州伊達家の古武術は生きていた!

今年5月に影山流道場の佐藤先生と二階堂さんと米沢市で交流させていただきました。その後に、佐藤先生から丁寧なお手紙をいただきました。「ぜひ、道場にお越しください」とのことでしたので、先月6月に影山流道場に伺ってきました。
伊達市までは米沢市から車で東北中央自動車道を走って、約1時間ほどで到着します。霊峰霊山が見える集落の山林に囲まれた場所に道場がありました。江戸時代に建てられた古民家でした。庭の裏手の山には洞窟があり、昔は密教か修験道の禅行をしていたことが伺えました。おそらく、元々は土地の名士である士族の方が所有していたお宅だったのでしょう。


影山神伝乱曲找舟派兵法道場の生きた歴史
佐藤先生が影山神伝乱曲找舟派兵法道場に入門したのは昭和36年(1961)頃とのことです。たまたま仙台市に就職して、下宿させていただいたお宅が影山流の宗家道場でした。その時から古武術はほとんど知られておらず、すでに仙台伊達家でも失伝してしまった流派だったようです。宗家が道場を辞められる際に、その伝承の全てを佐藤先生が引き継いで、現在の伊達市に道場を構えました。
戦国時代から何百年続いた流派を
私の代で失伝させるのは忍びない…
できればあと百年、二百年と続いていって欲しい…。そんな想いのもと道場を維持管理しながら、後進に伝承の古武術を教え、仙台藩士の武士達の哲学と物事の捉え方を伝えています。





影山流の稽古は修行のようでした
私が伺うなり、皆様に笑顔で迎え入れていただきました。茅葺き屋根を燻すために囲炉裏が焚かれていて、道場内は暑く煙で覆われていました。江戸時代にタイムスリップした感覚があり、逆に新鮮な体験でした。きっと、昔の茅葺き屋根の道場では当たり前の光景だったのでしょう。影山神伝乱曲找舟派兵法道場では、技術を継承すると同時に、歴史的習慣も体感として感じられるように伝承しているようでした。
神前は、日本武道の神はもちろんのこと不動明王も祀ってありました。
稽古前の儀を行い、師範代 藤井泰先生による剣術稽古が始まりました。膝行による居合剣術の形です。今は模造刀を使用していますが、昔は真剣で行うこともあったそうです。これらの武器や道具も手入れしながら、昔のまま使用しているものもあるようです。影山流は、戦国時代から続く戦でも使われた兵法です。
私が見学に来たこともあり、佐藤先生は稽古をしている内容がどのような技なのかを丁寧に解説してくれました。また、藤井師範代には、影山流の棒術の形を解説付きで見せていただきました。古武道家として、他流の形を見せていただくのは非常に勉強になります。


私の九鬼神流棒術の形も見せて欲しいとのことで、僭越ながら道場の神前をお借りして、初伝壱の形「五法」を披露させていただきました。道場の神前ということもあり、決めどころを少し高くしてしまいましたが、影山流の稽古を拝見した上に当流まで披露でき光栄でした。次回、また交流できる時には、私の門下生が正確な動きを披露できればと思います。
この他にも、道中感じたことは多々ありますが、
学校では絶対に教わることができない“生きた歴史”
そんな古武術が伊達市に残っていました。

稽古後に道の駅霊山のカフェでコーヒーをご馳走になり、話の交流をさせていただきました。
もし、影山神伝乱曲找舟派兵法道場にご興味を持たれた方は、当道場にお問い合わせください。
私から佐藤先生にお繋ぎいたします。
影山神伝乱曲找舟派兵法道場
所在地:福島県伊達市
稽古:毎月2回(不定期)

最後まで記事をお読みいただいてありがとうございます。仕事や講演の相談もお気軽にどうぞ。米沢藩・小山道場講師。江戸幕府から米沢藩士になった藤原氏の末裔。【古武道流派】九鬼神流棒術(紀州熊野)/甲源一刀流剣術(甲斐)/浅山一伝流体術(会津)【所属団体役職】置賜民俗学会(会員)/米沢商工会議所(議員)【職業】HanaCinema株式会社/映像・ウェブクリエイティブディレクター。