米沢納涼水上花火大会まもなく!上杉神社/松岬公園を6000発の花火が彩る…米沢市の花火大会の歴史

まもなく夏本番!お盆が近づくと、全国各地で花火大会が開催されます。米沢市では、観光地である上杉神社(松岬公園)で米沢納涼水上花火大会が行われます。ぜひ、米沢で花火をお楽しみいただければ幸いです。
ちなみに、米沢市にはかつて歴史ある花火大会が2つありましたが、現在は1つしか残っておりません。「その花火大会ってどんなの?」と思われた方のために、その情報と歴史についてご紹介いたします。地元の米沢市民の方にも、ぜひ読んでいただきたい記事です。
なお、これからお読みいただく内容は、インターネットにはどこにも掲載されていない内容が含まれています。
なぜ、私がこんな記事を書けるのかについては末尾に明記しております。
❶ 第61回 米沢納涼水上花火大会
日時:毎年8月第一週金曜日
会場:上杉神社/松岬公園
令和6年(2024) 開催データ
大会名 | 第61回 米沢納涼水上花火大会 |
会 場 | 上杉神社/松岬公園 |
主 催 | 米沢日報 |
打上数 | 6,000発(3号玉) |
開催日 | 2024年8月2日(金) ※雨天時は翌月曜日に延期 |
時 間 | 19:30~21:00 |
有料席 | あり |
屋 台 | 25〜30店 |
駐車場 | なし |
その他 | 近くにコンビニあり、繁華街へ徒歩で移動可能 |
県内唯一!神社のお堀から花火が打ち上がる情緒あるロケーション
米沢納涼水上花火大会は、毎年8月の第一週の金曜日に開催されます。第1回は故・吉野正八氏(元米沢日報社取締役、元株式会社エービーエム社長)が、地元米沢市の子供たちとその家族に夏の夜を楽しんでもらおうと、昭和37年(1962年)に「県南広告花火大会」を始めたのがきっかけです。
当初はお堀を使ったとても小さな花火大会で、水面を生かした水中金魚やナイアガラが喜ばれていました。
昭和55年(1980年)、花火大会は現在の主催者である米沢日報(置賜日報社)に引き継がれ、開催場所が上杉神社の北東から北西へ移されました。当時は、お堀端に人々が並んで観覧する地元の花火大会でした。その後、会場の都合により、上杉神社南西の赤い橋へ移り、平成15年(2003年)には現在の東側の舞鶴橋に移動しました。
その頃には多くの観客が集まっていたため、警察署の指導で観客と花火の距離を空けざるを得なくなり、お堀からは見られなくなってしまいました。それに伴い、高さのある打ち上げ花火がメインとなり、松岬公園が整備されたことで現在の形になっています。


上杉神社を背景に、松岬公園内の芝生の上にはステージが設けられ、地元の高校生や大学生が会場を盛り上げつつ水上花火大会がスタートします。打ち上げが始まる頃には、会場の芝生は人で埋め尽くされるほどの賑わいとなります。近くに国の重要文化財があるため、打ち上げ花火は小さいものの、6,000発が絶え間なく上がり続けます。
特に、山形県内で神社のお堀から打ち上げられる花火大会はここだけです。
その趣や情緒は第1回目から変わらず、地元米沢市民に愛され続けています。また、近年ではその珍しさから観光客も訪れるようになっています。
しかし、昨今の人件費や花火、資材などの諸経費の高騰により、地元企業からの協賛だけでは運営が難しくなってきています。これに伴い、今年からステージ前に有料席が設置されることになりました。「来てみたけれど、落ち着いて見る場所が見つからない」といった地の利がない観光客には、むしろ有料席があった方が良いかもしれません。特等席で米沢納涼水上花火大会を観覧するチャンスです!
また、会場には募金箱が数多く設置してあります。
もし、会場に足を運び募金箱を見かけたら、100円でも200円でも募金していただけると嬉しいです。これからも、夏の米沢に花火が上がり続けますようにと願いを込めて。
❷ 第82回 東北花火大会
日時:毎年7月29日 or 30日(2019年終了)
会場:松川河川敷/アルカディア
東北中に鳴り響け!82回目で終わった東北地方戦後初の花火大会
東北花火大会は、毎年7月29日または30日に開催されていました。第1回は、第二次世界大戦終了後から約4年後の昭和24年(1949)です。戦後、日本を占領したGHQ(連合国総司令部)は、日本の再軍事化を恐れて、火薬所持と花火大会を禁止しました。花火大会が解禁となったのは昭和23年8月1日の東京両国河川で開催された花火大会です。それを皮切りに全国で花火大会が行われるようになりました。もちろん、米沢市でも戦没者への鎮魂の花火をあげようと企画が持ち上がり、翌年24年に東北地方で最初の鎮魂の花火が夜空に華咲きました。これが、米沢市の松川河川敷で開催された第1回 東北花火大会です。
大会名が米沢ではなく、東北となっていたのは戦後東北初の花火大会だったからです。
当時の主催者は、戦後の暗い雰囲気だった東北を米沢から明るく照らしたいという想いがあったようです。
“東北を”というのが、実に、米沢藩士の子孫達が考えそうな素晴らしい企画でした。


そして、毎年、県外からも約15万人の観光客が訪れる東北の夏の風物詩となっていきました。特に、吾妻連峰をイメージした全長200mのナイアガラの煌めきと、クライマックスに打ち上げられる直径700mの大輪の菊を咲かせる20号玉の轟音は、米沢市民に親しまれました。「あー、今年もお盆が近いな」と。
しかし、日本の高度経済成長が終わって不景気に突入していくと、回を追うごとに米沢市民の戦没者鎮魂の意識は薄れていき、東北中で行われる花火協議会の規模に圧倒されていきました。そして、令和2年(2020)の新型コロナウイルスが日本に上陸したことによって、花火大会の主催である米澤新聞社が不況に伴う経営悪化による休刊を発表。経営陣が自己破産となったため、東北花火大会は、2019年の第82回の打ち上げを最後に復活することなく幕を閉じました。
❸ 第1回 よねざわ大花火大会
日時:2023年7月29日(同年終了)
会場:松川河川敷
近年の花火コンテスト形式のように音楽を組み合わせた打ち上げ乱舞
たった1回で終わった幻のよねざわ花火大会
「東北花火大会」がコロナにより終了したことにより、その後継として米沢四季のまつり委員会が中心になって、米沢夏祭り事業の一環として「第一回よねざわ大花火大会」が開催されました。「おかえり。また、逢えたね。」というのがキャッチフレーズでした。私は何となくそんな気がしていましたが、たった一回で逢えなくなりました。その代わりに、同委員会が米沢秋祭り事業として「よねざわ戦国花火大会」を米沢総合運動公園にて行うことが決定しています。公開されている内容は以下の通りです。
❹ 第1回 よねざわ戦国花火大会
日時:令和6年(2024)10月12日土曜日
会場:米沢総合運動公園

令和6年(2024) 開催データ
大会名 | 第1回 よねざわ戦国花火大会 |
会 場 | 米沢総合運動公園 |
主 催 | 米沢四季のまつり委員会 |
打上数 | 8,000〜10,000発予定 |
開催日 | 2024年10月12日(土) ※雨天時延期、荒天時中止。 |
時 間 | 18:30~予定 |
有料席 | 5000席(米沢市民割引あり) |
屋 台 | よねざわ肉の陣 13:00〜予定 |
その他 | キッズイベント 12:00〜予定、スポーツイベント 12:00〜予定 |
野球場を会場に出店と有料席を充実させた“秋”の花火
「第一回よねざわ大花火大会」の後継として、開催日が夏から秋に。場所も移動して打ち上げ発数や有料席が増えています。やまがた愛の武将隊演武とのコラボ花火。イオン米沢店や映画館、スタバなどがある渋滞エリアが近く、当日はよねざわ肉の陣が同時開催されることもあり、この辺りは大渋滞になることが予想されます。お気をつけてお出かけください。
夏は夜、そして花火…私がこの記事を書けた理由
今回の記事はいかがでしたか?ここまでお読みになった方には、今年の米沢市で開催される花火大会を深い見識で楽しんでいただけましたらと思います。最後に、私がこの記事を書けた理由を以下に明記しておきます。
私は、夏の花火は大好きです。むしろ、夏の花火だけが大好きです。
それは「綺麗だから」「楽しいから」「夏らしいから」という理由もありますが、それだけではありません。

そもそも打ち上げ花火は、死者の慰霊となる水神祭です。
そういった昔ながらの風習を大切に繋いで、生きている人のために生きて死んでいった先祖や命を敬うために、日本では花火大会が行われてきました。また、近しい身内を思い出して懐かしむことができます。その悲しみに残留思念があったとしても、花火がひとつ咲いて散るごとに想いは大海へ流れていくのです。
花火は誰かのために上がり、誰かの心を癒しています。
それを地域に住んでいる多くの住民が一緒に鑑賞します。元来、日本人は人の気持ちが分かるとても優しい人々なのではないでしょうか。祭りの終わりは寂しいですが、それを毎年楽しみにできている自分が日本人らしく思えて好きなのです。だから、花火大会は好きな人や友達や家族と一緒に鑑賞したいと切に思います。

米沢納涼水上花火大会には、毎年、私の経営するHanaCinema株式会社からも協賛金を出させていただいております。主催の米沢日報の前身は私に関係ないこともなく、遠い親戚が経営に関わっておりました。この記事を書く上で、米沢日報の成澤代表にお電話差し上げて伺っております。だから、なるべく正確に書いたつもりです。
東北花火大会については、18年前に私が会社を興した際、米沢新聞社に取材しました。その時にお聞きした内容を今回の記事で書いております。実は、東北花火大会が終了してから「米沢市に夏の花火を復活させよう」という動きを米沢商工会議所経由で知りました。私は米沢商工会議所の議員をやっています。その時の資料に、名称がよねざわ花火大会となっていたことにガッカリしたのです。なぜ、米沢の花火大会の名称が東北花火大会だったのかを復活させる側が知らないのです。そんなこともあり、今回の記事を書いておこうと思いました。
まもなくお盆です。
そして、終戦記念日が近い…
守るべきものは一体なんなのか?なぜ、地元で毎年花火が上がっているのか?
皆様がそんなことを考えるキッカケになれたら嬉しいです。

最後まで記事をお読みいただいてありがとうございます。仕事や講演の相談もお気軽にどうぞ。米沢藩・小山道場講師。江戸幕府から米沢藩士になった藤原氏の末裔。【古武道流派】九鬼神流棒術(紀州熊野)/甲源一刀流剣術(甲斐)/浅山一伝流体術(会津)【所属団体役職】置賜民俗学会(会員)/米沢商工会議所(議員)【職業】HanaCinema株式会社/映像・ウェブクリエイティブディレクター。