お宝発見!美しい色彩で描かれた古文書!山形県南陽市の熊野大社周辺絵図を拝見…修験道調査

東北の伊勢・熊野大社

こんにちは。米沢藩・小山道場講師の小山です。

私は、山形県置賜地方が米沢藩だった時代の山岳信仰の参詣道が、どのように出羽三山飯豊山に繋がっていたのかを独自調査しています。

ここ数年、私は宝探しやトレジャーハントのような謎解きゲームをしている感覚です。
地域に語り継がれる伝説や由緒、古文書、歴史口伝、現地の地形、お祭り、習慣や風習を聞き、謎がひとつ解けると次々に歴史の道が開いていくからです。RPGゲームのように、時々、まだ顔が見えないラスボスと謎解きの勝負をしている気になったりさえします。

修験道の歴史研究をしている学者は数あれど、山形県置賜地方の現地調査に関しては、私が一番足を運んでいると思います。むしろ、米沢藩領の参詣道を俯瞰して調査しているのは私一人かもしれません。

ちなみに、私は学者ではありません。スポンサーもいません。

私にあるのは、真実を知って、この地域の人々に今でも大地に “宝物” が残っていることを伝えたいという気持ちだけです。それは、この地方に住んでいた先人たちが命がけで守っていた、他の地域の人々が欲しがっても手に入らないお宝だったと思うからです。私の先祖もその一人でした。

そのルートを“ドラゴンロード”と呼び、日本文化遺産や世界文化遺産に匹敵する歴史の跡だと私は考えています。

そんなことから、現地調査では地元の人に話を伺うようにして
研究者も目にしていない史跡や伝承、古地図、古文書も探してます。

今回は、状態が良い南陽市の古地図を持っている人がいる情報を得て、南陽市内のとある家を訪問して拝見させていただきました。この家の先祖は米沢藩時代に地域のまとめ役だったとのことです。苗字と親類の所在や婚姻関係を伺ったところ、米沢藩奉行の一族か肝煎クラスの家だったと予想できました。

拝見する古文書は信頼できると判断しました。

熊野大社と宮沢城付近の絵図
南陽市熊野大社周辺の古地図(慶長十年町割完成 綱正)

眠っていた南陽市宮内地区と梨郷地区の絵図

北条郷(現、南陽市)の代官だった阿部右馬之助の由緒と、その背景の歴史が長々と記された巻物になっている古文書の中に、現在の南陽市宮内にある熊野大社周辺の絵図が描かれていました。慶長十年町割完成 綱正 とあります。上杉家が米沢藩に入部してきてから、慶長十年(1606)に宮内地区の町割完成したことが分かります。

綱正とは、北条郷を開拓して現在の南陽市の町の基礎を築いた 二代目 阿部右馬之助 のことです。

慶長十年以降の由緒までつらつらと書き記されていました。二代に渡る阿部右馬之助の由緒を伝えるための文書として、模写して後年にまとめられたものでしょう。

絵図の中央には、赤い鳥居が2つあり、その下には代官所と阿部右馬之助の屋敷があったことが分かります。東に武家屋敷、西に宿坊が伸びています。上には、尾崎氏が城主を勤めた宮沢城が記され、右上には長谷観音と山道九滝ニ至ルとあります。羽山修験道へ続く道です。昔から羽山修験道へのルート沿いに熊野大社があり、その前を守るように代官屋敷が置かれて整備された証拠です。この道は今でも変わらず同じままです。

寛永元年(1624)まで由緒が続いていました。もちろん、米沢藩軍奉行色部氏の名前も出てきます。前回書き記した保呂羽堂の記事に出てきた偉人です。この地は修験にとって重要な場所です。色部一族も修験道に精通していたからです。
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別の古文書には宮沢城の絵図もありました。
宮沢城は羽山修験を守るための山城だったのでしょう。
本丸には井戸、北には羽山権現御立とあります。

また、見たかった梨郷地区の図もありました。梨郷地区の氏子たちが昭和初期にまとめた文書のようです。梨郷上館城跡の地図には、龍雲寺から伊佐沢地区に抜ける登山道が記されていました。

南陽市梨郷地区の古地図のまとめ
梨郷上館城跡の地図

この他にも、巻物のように丸まった古文書が数多く保管されており、そのほとんどが先代は親しい人にしか見せなかった資料とのことです。南陽市宮内地区は、明治時代初期に大火があったため古文書が綺麗に残っていることはとても珍しいです。この家は宮内地区から離れていて、蔵に保管されていたことで無事だったのでしょう。

私が調べた置賜盆地の修験道と照合すると
米沢藩の歴史がひっくり返る資料もあるかもしれません。

今回は1時間程度だったため数枚しか見られませんでしたが、隠された歴史を知る上で大事な資料であることを持ち主様にお話しさせていただきました。再度、拝見してデジタルアーカイブにする機会を設けることにご納得をいただきました。

さて、これらの情報を元に、来春から北斗七星延命経の巨門の里として造られた宮内地区の羽山、同じく貪狼の里として造られた梨郷地区の龍樹山を調査をはじめたいと思います。

この記事をお読みになって、山形県置賜地方の古文書をお持ちの方がいらっしゃいましたら、お問い合わせフォームよりご連絡いただければ嬉しいです。また、一緒に調査したい方や、現地の調査ガイドや観光ガイドして欲しい方がいれば、以下のページをご覧になりお気軽にお声をおかけください。

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