冷やし中華を食べたら飯豊山ドラゴンロード有力情報ゲット!米沢市関根の修験道の調査

「小僧が滝」やまがたへの旅より

こんにちは。米沢藩・小山道場講師の小山です。
米沢藩の修験道を調査していて、たまたま有力情報をゲットしました。そんな調査記録です。

小僧が滝伝説の謎…それは空海の密教修験道があった証拠

米沢藩修験道は北斗七星デザインで村々を繋いでいて、米沢市関根の小僧が滝から始まります。
この小僧が滝は、同じく関根にある国指定史跡である真言宗寺院・岩上山普門院が仁寿3年(853)に英慶よって創建された場所で、昔々、小僧(得度したての僧侶)が滝に身投げして亡くなった伝説が名前の由来になっています。羽黒川の上流である地元の人に明石川と呼ばれている山中にある知る人ぞ知る景勝地になっています。今でも子供たちが滝に飛び込んで遊んだり、釣り人のポイントとして人気です。

私も幼い頃は父に連れられて、滝に飛び込んだり釣りをしたりしてよく遊びに来た場所です。

実際に行ったことがある方はわかると思いますが、相当運が悪いか泳げないかしないと死んでしまうような滝ではありません。
昔はもっと水量が豊富だったとしても大丈夫でしょう。
“この明石川は人を殺さない”そう思える場所なのです。

東日本各地の滝や池などには、こういった僧侶や氏族が飛び込んで亡くなった伝説がよくあります。
現代人の思考では、これを本当に亡くなったものと考えがちで、酷い場合には黒歴史として語り継がれたり心霊スポットになっていたりしますが、実際の歴史は決してそうではありません。

崖から水に飛び込んで亡くなったとは、仏道に入ったことを意味する伝説なのです。
昔は、仏道に入れば自害したものとされて、死人と同じ存在とされ俗世から切り離されていました。
特に武士の世界ではその傾向が多く、自害したと伝わっている武士の中には修験道に入って山伏になった者が多いはずなのです。

この身投げをする儀式は、真魚(弘法大師・空海の幼名)が仏道に入った伝説と同じです。

香川県にある真言宗寺院・我拜師山出釈迦寺には、こんな伝説が残っています。

弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、堂宇を建てた。

我拜師山出釈迦寺 HPより

きっと、小僧が滝伝説の身投げした小僧とは、普門院を創建した英慶なる人物で、真魚と同じ儀式によってここから仏道に入ったのでしょう。そして、青年となって岩上山と刻んだ堂宇を建てたのが岩上山普門院の始まり。そう考えるのが至極自然です。
そうすると、仁寿3年(853)には山形県置賜地方に修験道が既にあったと考えられます。

小僧が滝と並ぶ景勝地が…同じ関根村にあった七渡(ななわたり)

さて、前置きが長くなりましたが、米沢市関根には小僧が滝と同じく景勝地だった「七渡」という場所が、羽黒川の上流である刈安川にあります。山伏が御沢がけするような雰囲気がある沢です。その川が流れる三沢山の山中には、山の神が祀ってあるという話ですが、昭和中期の炭鉱跡事故で崩れてしまって実際にその場所を知っている人はほぼいないようです。

謎の山の神が鎮座しているという話です。

米沢藩時代には、関根地区は山神村と呼ばれていました。
この謎の山の神神社が由来になっているものと思われます。
それが漢字が変わって山上とされ、関根と統合されて山上村になりました。現在は、米沢市関根になっています。

昭和45年に水窪ダムができたせいで、七渡の水は濁って景勝地となさなくなってしまいました。
子供を連れてくる家族もいなくなったようですが、どんな場所だったのかの現地調査してみました。

私の父の話では、祖父が幼い頃はそこでよく遊んでいたということです。
短命だったため父もその祖父すらに会ったことはありませんが…。
きっと、そこは小僧が滝と同様に修験道の入口になっていた場所だったのではないか。
特に、湯殿山修験系の私の一族が江戸時代に米沢藩に来てからからは、守っていた場所だったのではないかと思えてなりません。


正午頃。藪をかいて七渡まで降りてみました。三沢山側がゴツゴツと切り立った岩壁になっていて、川に入らないと上流には登れそうにはありませんでした。山岳信仰大日如来の梵字でも掘ってあってもおかしくないような岩肌です。ほとんどが苔に覆われていて、見える範囲だけでは明らかに人工的といえる加工跡は探せませんでした。次は、しっかり準備してきて上流まで登ってみたいと思いました。

お腹がすいたので早々に切り上げ、関根唯一の寿司屋でランチをしようと思いましたが貸切のようでタイミングが合いませんでした。

仕方ないので、水窪ダムを横切って万世町まで車を走らせ、最も近い飲食店はエコー食堂に入店しました。
米沢市に住んでいながら初めて入るお店です。店構から営業していることすら知りませんでした。

修験道を知っていたエコー食堂のお婆ちゃんに出会う

まだまだ夏!元気ハツラツ、オロナミンC!というような、米沢なのに海の家っぽい味のある店構えです。
こんな地元の人しかしらないようなお店に入る機会があるのもドラゴンロード調査の醍醐味です。


今年初の冷やし中華を食べました。
余談ですが、暑い日に食べる米沢ラーメン使用の冷やし中華はおすすめです。美味いです。

味のあるお婆ちゃんが、味のあるトレーで提供してくれる米沢らしいマヨネーズたっぷりの冷やし中華には、米沢名物だしと丸茄子漬け付きでした。麺と肉以外は全部お婆ちゃんが作った野菜とのことです。

「お婆ちゃん美味いよ!」と私。
「んだが?何か見て来たんか?」とお婆ちゃん。

たまにテレビ取材されるらしく人気のお店らしいです。「でしょうね!」と間髪入れずに私。
店構えのギャップが冷やし中華の美味さを引き立たせます。お婆ちゃんも親しげでとても良いです。

もはや味しかないお店でした。

冷やし中華を食べながら身の上話を伺ってたら、なんとこのお婆ちゃんは米沢市の端っこの入田沢塩地平の出身でした。
かつて米沢藩の山中で集落をなしていた、最も古い草木塔が発見されている飯豊山修験道「ドラゴンロード」にあった村です。

調査中にお腹がすいて入店したのは大正解でした。
縁起を感じずにいられませんでした。

「女は山さ入らんねがったから私は行ったことないよ。でも、男たちは皆で白装束着て棒たがって鬼面川を登って行ったさな」

と、お婆ちゃんが小さい頃の村の話を聞かせてくれました。
“お婆ちゃん…生き仏かよ…”と思いつつ、「ドラゴンロード」は米沢藩にやはり存在したことを確信しました。
山形県置賜地方は湯殿山信仰と飯豊山信仰の道中に作られた村々です。
そこを藤原流の名高い大名たちが守っていました。
しかも、そのデザインが北斗七星や竜座など星座の形で各地区にまたがっていて、まだかろうじてその片鱗が残ってます。

…武士たちが日本を天下と呼んだ所以…

これが世に出れば、山岳信仰界や仏教界をはじめとする日本中があっと驚く歴史的な文化遺産になりえます。

私は、その手がかりが聞けて嬉しくなったので「お釣りはいらんからね!」と帰ろうとしたら
「ほんなら、スイカ食ってげ!」と間髪入れずにお婆ちゃんに引き止められました。
結局、スイカをご馳走になって、丸茄子漬けひと瓶の土産まで貰って帰って来ました。

…米沢藩の信仰で育った女は律儀で義理が堅い…

ドラゴンロードを正確に導き出して、入田沢塩地平が米沢藩にとって重要な村だったことを早くお婆ちゃんに教えてあげたいと思いました。余談ですが、お婆ちゃんはこんな顔をしています。

この記事を読んで、米沢藩修験道よりもエコー食堂の方が気になった方は、ぜひ行ってあげてください。

七渡がある三沢山の山の神の入口はどこなのか?

エコー食堂から関根に戻りました。山の神は一体どこに鎮座しているのかその登山道の入口探しです。
この山の神は、関根村出身の方が執筆した「関根雑事記(田中憲夫著)」に七渡とともに登場します。また、平成になってから作成された観光マップ「山上のたからもの今&昔MAP」にも表記されている場所です。

私の古武道の先生である柴田師範も青年期まで関根村で育っているため、山の神の場所を知らないかどうかお聞きしたところ存在は知っていました。しかし、「炭鉱が潰れたあたりにあると聞いたことがあるが、行ったことはない」との回答でした。
そのお堂を見たことがある人が見つからない謎に包まれた山の神の入口探しです。

高圧電線の鉄塔がたっているため、点検用の山道の入口があることは道路から分りました。
水窪ダムから、三沢山にかかる高圧電線の鉄塔あたりにドローンを飛ばしてみました。

こんもりとし、米沢市万世町の方へ向かって広がっている山です。樹々が深すぎて、登山道らしい道は一切探せませんでした。
高圧電線の点検用の山道と繋がっているのか?ただ、それが修験道であるならば、七渡から三沢山にある蔵王神社に繋がらないため違う気がしました。

関根の集落でお年寄りに聞き取り調査をしてみましたが、誰も知らず、蔵王神社の方を案内されてしまいました。

やはり山の神は失われてしまったのか。
ただ、これまで米沢藩の修験道の現地調査してきて、私の鼻は聞くようになっています。
七渡と蔵王神社の間の川の流れを現地調査してみて、ある程度想定がつきました。
また謎の山の神探しにチャレンジしてみたいと思います。

もし、山の神について何か心当たりある方は、メールフォームよりお知らせいただければ嬉しいです。
また、あわせてドラゴンロード調査員も募集中です。よろしくお願いいたします。

ちなみに、聞き取り調査した際に現地の人が案内してくれた蔵王神社はこちらです。

米沢市三沢山の蔵王神社


実は、私の曽祖母が少女時代まで住んでいた場所なのです。
ここには、子育地蔵、飯豊山碑、金華山碑、湯殿山碑が建っており、山中には蔵王権現が祀ってあります。
米沢藩の入口となる修験道場だったことが伺えます。

もうこの神社を守る氏子の皆様も忘れてしまっているでしょう。

蔵王権現

修験道(探求)

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